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2007年4月30日 (月)

安曇野・篠笛の旅(2)

墓前で吹いた笛の聞き手

翌朝仲間に生家まで送ってもらった上に、彼が作っているしいたけを沢山貰った。

雨の合間を縫ってお墓参りに行った。村外れの墓までは徒歩7分。

速いところでは苗代が済んでいる田んぼもあった。畑仕事をしている人の顔は知らないが皆挨拶・会釈をしてくれる。

お墓で、千の風、江戸子守唄、荒城の月、中国地方の子守唄、さくら、ふるさと、など思い切り笛を吹いた。

雲行きが怪しくなってきて引き上げる途中、「篠笛ですか?聞かせていただきました・・・千の風は素敵でしたよ」中年のご婦人に声を掛けられた。篠の帰るのを待っていたようだった。まったく初対面の人だった。笛を褒められすっかり気を良くして篠笛、村の生活、闘病のことなど長話をした。「JBK友の会」のことまで宣伝してしまった。後で聞くとこの人病院関係で働いた偉い人だった。

友達から貰ったり義姉が用意したみやげ物が多過ぎて、リックサックには入りきれない。ダンボール一つ貰ってまとめ宅急便で送った。雷入りの大雨が降ってきた。

明科駅までタクシー。途中おやきの店、物産店など寄り道したものだから5350円だった。運転手さんが端数の350円負けてくれた。タクシーを利用して初めてのことだった。

物産店にいた人がわざわざ出てきて「お母さんには(お袋のこと)大変お世話になりました。夕べ千の風吹かれたそうですね。お母さんにも届いたでしょう」と、商品の「その人の名前入りのコンニャク」を無理矢理土産袋の中に入れてくれた。思わぬところでおふくろの話を聞かされ感激してしまった。まだまだ人情は無くなっていなかった。

明科から松本まで汽車。松本からタクシーで姉の家。2番目の姉も来て3人で姉が用意した濁酒で乾杯。そこでもお墓で吹いた以上の曲を吹いた。「千の風になって」はまだ完全にものになっていないが姉たちは涙を拭かずに聞いてくれた。(姉たちには病気のことは話していない)どこに行っても、誰にも人の心を肌で感じられた。素晴らしい一日だった。

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安曇野・篠笛の旅(1)

第一日目

二泊三日だったが今回の安曇野小学校同期生会は中身の濃いものだった。もしかするとこれが最後になるかもしれないという思いがあるから、一言一言にその思いをこめて接した。それが相手にも伝わったのか、皆親切に優しく接してくれた。故郷はゆりが籠のようだった。楽しい思い出が一杯。

篠が一番遠方からの参加だった。明科からマイクロバスで集合場所の宿へ。近くの「かあさんの家」と言う食堂で「ほうとう」で昼食。造っていたのは顔見知りの本家の娘さんだった。手作りのお豆腐は歯ごたえがあって昔のお袋の味を思い出させた。

高津屋森林公園、スカイスポーツ公園(パラグライダー基地)、県天然記念物乳房大銀杏(樹齢800年)、赤地蔵(何でも願い事がかなうという)などを回った。高津屋公園は車が入れない坂道を杖を付きながら登った。途中たらの芽が出ていて「たらの芽とるな」と看板が出ていた。看板が目に付く前に取ったものはどうするんだ?と言いながら手を出す人は・・・。頂上からは綺麗に雪化粧した常念、白馬など北アルプスの山々がが手が届くような近くに迫って一望できた。旧広津村の半分近くも見え、あそこが誰の家、こっちは誰の家と村に残っている仲間が説明してくれた。

犀川から吹き上げる川風に身を任せて空を舞うパラグライダーは千の風を思い出させ向こうに逝った何人かの顔が浮かんでは消えていった。

参加人員は22名、中学に行ってしまった篠は小学校(6年)卒業以来始めた会うという人が5人もいた。62年も会ったことがないのだから、顔も名前も分かるはずがない。積もる話どころではない。六十二年前からの話を一人ひとりするのは至難のワザ。心臓など重い病気を克服した人も何人かいて話は尽きなかった。

話が弾んでいる中で幹事から「カラオケが始まる前に篠笛を」と声が掛かり「荒城の月」「故郷」「千の風になって」の三曲を続けて吹いた。私語に夢中になっていた人たちも話を止めてシーンとなって聞いてくれた。千の風には涙を拭いている人もいた。幹事が篠笛を始めたいわれと共に闘病の話から現役時代の事件解決の話まで解説してくれた。篠笛が完全に主役になっていた。

たらの芽、ふきのとう、こごみ、など山菜の天ぷらが山盛りに出され隣にいた人が一つ一つ説明しながら自分の分まで篠のお皿に移してくれた。

中締めの音頭も指名された。最高の一日だった。

部屋は三人部屋で二人とも62年ぶりでの再会で、世の更けるのも忘れて話し込んだ。

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2007年4月29日 (日)

草花の嫁ぎ先

篠は兄弟8人(男5人、女3人)の末っ子。もう4人は千の風になった。姉二人は松本の郊外に住んでいる。二番目の姉の家に世話になる。義兄は篠の小学校の先生だったが千の風になって久しい。この姉も草花が好きで庭中いろんな花が一杯。今ボタンが満開。横浜から嫁入りしたものも多い。姉のところから横浜に嫁入りしたものも多い。名前の分かった浅間風露もこの姉のところから来たもの。

田舎を出て半世紀以上経っているから共通の話題は草花になる。

この姉は肺の手術の際松本から出てきて付き添ってくれた。優しすぎて、涙もろいのが苦手。お袋も晩年この姉の家に来るのが只一の楽しみだった。

お焼きを食べながら「この花は母さんが買ってくれた」姉の花や木に纏わる思い出話を黙って聞くのも楽しい。篠の庭の盆栽の移転先には最適だが、姉も80才を超えている。それに余命告知の話なんかできる訳がない。

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2007年4月28日 (土)

故郷・安曇野紹介

篠笛のふるさとは信州・安曇野。旧北安曇郡広津村である。信濃川の上流梓川と女鳥羽川が合流した犀川の畔である。交通の便は昔はJR明科駅からバスが数本出ていたが過疎化が進み廃止となった。タクシーで4000円前後。

犀川はダムが出来るまでは鮭も上がって来る綺麗な川だった。山に囲まれた小さな村落で犀川の川原は子供たちの主な遊び場だった。川の流れは急で上流で子供がおぼれたことから、一時川遊びが禁止された。それを破ったことが先生にバレテ仲間全員廊下に立たされたことがあった。仲間はずれにした疎開の子がチクッタことが後で分かった。

小学校は海抜1200メートルの山の頂上近くにあった。小さな子度は無理と、村には集落ごとに分教場があって小学校4年までは分教場に通った。本校へは急な坂道を約4キロ集団で通った。どこにもガキ大将がいてすべてを仕切っていた。冬場は登校途中寄り道をして野うさぎを獲る罠を仕掛けていた。

中学校は郡に一つ大町にあった。通学手段は二つの山を16キロ徒歩以外なかった。一時期朝4時に起きてお袋が造ってくれたおやきを食べながら通った。無理して学校に行っても出征兵士の留守宅に勤労奉仕が幾日も続いた。授業は苦手だったが農作業は得意だった。「負けてたまるか」の気力・体力はその時代鍛えたものだ。

通学路途中に戦死した兄の恋人がいて時々お菓子や、ノートをもらった。優しくて綺麗な人だった。

故郷にはいろんな思い出が一杯詰まっていて書き切れない。千の風になった時はここが活動の中心になるような気がする。

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2007年4月27日 (金)

浅間風露(あさまふうろ)

松本から嫁入りしてきた名前の分からなかった花の名前が分かった。これだけきれいな花に名前がないのはおかしいと図鑑を引いて「浅間風路(あさまふうろ)」と分かった。天皇陛下が那須に行啓なされた時目に止められ,詩に詠まれたこともあると言われる由緒ある花だった。花は小さく野山では他の草木に埋もれて余り目立たないかもしれないが、それがまた可愛い。

道路掃除をしていて懐かしい香りで気がついた。庭先の石垣から乗り出したリラの花が咲き始めていた。毎年必ず咲いて道行く人の足を止めている。一応剪定をして形を整えてあるから褒められてもあげられない。香りだけで我慢してもらっている。

安曇野で小学校の同窓会。お昼に明科の駅に迎えが来てくれて昔遊びまわった山を散策させてくれる計画。夜は犀川の畔の宿で篠笛を吹く。

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2007年4月26日 (木)

楽しい送別会・退職金の行方

ランドマークタワー68階で、梅ちゃんの予想を裏切ってまったく異業種のお偉いさんの送別会。ヒョンナことから長いお付き合い。引き際は見事だった。みなとみらい線で何度か行ったことがあるが広すぎてエレベーター探すのにまごまごしてしまった。

酒は信州の銘酒「真澄」でチョコ2杯ばかり頂いて酔っ払った。

色々の話が出て面白かった。どこでも偉くなればなるほど、嫌なこともあるらしい。でも、グジュグジュしない歯切れのいい話しっぷりは聞いていて気持ちが良かった。前に頼んだこともちゃんと覚えていてくれた。

退職金3つに分けて奥さん、自分、共同管理分。とするようアドバイスしたが余り乗り気ではなかった。もしかすると全部取られて仕舞うのかもしれない。(今ブログ書きながらふとそう思った)今度会った時聞いてみよう。

明日は安曇野へ行くんだからとタクシーまで面倒見てもらってしまった。まだ酔っ払っているのかな・・・?

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名前を知らない花の声援

税務署からこの間出した確定申告の誤りを指摘され訂正申告。どうも細かい数字は苦手。

寒くて外に出ても長くは続かない。増富に行っていた留守中来ていた手紙の整理。返事の必要と思われるもの、先日あった春の叙勲者にお祝いなど13通の手紙を書く。ACレポート800字文字だけ並べたような感じでギリギリ投函。皆さんの声援を受けて多少気分も落ち着きを取り戻してきた。

去年貰ってきた、松本の姉が山から採ってきたという名前の知らない花が小さなピンク色の可愛い花を一輪咲かせ、元気を出せよと声援を送っている。始めてみる花だ。蕾を一杯つけている。これから楽しみ。すずらんも咲き始めた。天候不順だ、寒いなどと言っているが春は確実にやってきている。

ランドマークタワーで昔仲間の送別会。お偉いさんで少し緊張。チョッピリ飲んでみようかな。

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2007年4月25日 (水)

老いを加速させる天候不順

急激な天候の変化に植木たちも戸惑っている。芽を出してきたモロッコインゲンがどうしようか迷っている。とても物になりそうもない。寒くて蜂も飛んでこない。この調子だとムベもカリンも受粉が出来ないから今年の実は見られそうにない。

病人もそれに釣られて調子が狂って仕舞った。クリーニングに出そうと思っていた冬物をまた引っ張り出した。笛を持っても手の痺れが酷く思うように吹けない。ACの文章提出レポートもまとまらない。何をしても落ち着かないし、中途半端で継続できない。落ちつたと思っていた副作用のの発作も復活。ボケも、老いも本物になってきた。天候不順が老いを加速させている。

庭仕事も出来ずパソコンで遊びすぎたのか目がしょぼしょぼし、目医者に行ったが混んでいて半日つぶしてしまった。

そう言えば赤提灯にしばらくご無沙汰している。熱燗が懐かしい。

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2007年4月24日 (火)

盆栽教室

篠笛教室の後早く帰って植え替え。「これ何だか元気がないんだが,どうして?」知り合いが持ってきたボケ、松、欅の3鉢、みな相当金が掛かっている年期物だが根腐れと直ぐ分かった。元気がなくなった鉢の表面一杯肥料をやっている。鉢から抜き出して根を洗ってみると相当腐っていて重症。回復は難しい。取り敢えず預かることにした。持ち込まれる鉢はこうした肥料のやり過ぎ、水のやり過ぎによるものがほとんど。人間社会にも同じようなことが平然と行われているような気がする。

盆栽も人間も同じ、弱った人に肉だ卵だと栄養のあるものをじゃんじゃん食べたらよくなるものも悪くなる。肥料はやり過ぎるなら、やらない方がいい。

この人、前にも同じようなものを持ってきたことがあった。

帰りがけにイワヒバを欲しそうに何度も褒めていたが聞こえない振りをしていた。基本を知らない、知ろうとしない人にはやれない。こんな人に育てられている盆栽はかわいそう。

松坂大輔打たれながも2勝目。

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2007年4月23日 (月)

いじめ(増富報告)

増富には、今回はいろんな人がいた。「胃袋全摘。3年後食道がん再発、胃がないから大腸と直結」「肺癌で右肺3個切除」「大腸がん、肝臓に転移。オストミー」「心臓ペースメーカー埋め込み」「胃がんステージ4、余命宣告」「あちこち癌だらけ」・・・皆が増富の効用を信じて疑っていない。

一人おしゃべりさんがいて、相手の気持ちかまわずそれぞれの病状を根掘り葉掘り聞き質していく。オストミーの人なんかは嫌がっていたが、狭い浴槽逃げ場がない。どこにもいじめっ子はいる。「負けてたまるか」と開き直ることがいじめを跳ね返す。

「10回入院、14回手術。前立腺治療中。肺癌に次いで2度目の余命宣告」病歴では篠に叶う人はいなかった。「ここに来てからマーカーが下がった」篠の話に皆一応にホッとして安堵の顔になっていた。

誰もが自分より少しでも重たい人を見つけるとホットするようだ。中に一人耳の不自由の人がいて盛んに話し掛けられた。その人はある程度不自由だと承知しているが、入浴時は補聴器をはずしているらしい。一方的に喋るが時々返事を求められ、耳元で話しても篠の声では駄目、筆談も出来ず困った。

町内会費不在で未納の人からの集金。篠笛教室。

世界中で予想も出来ないような事件が発生している。対策は・・・?

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2007年4月22日 (日)

雪景色の中の篠笛練習

増富滞在二日目、朝窓を開ける一面真っ白。寒い訳。一風呂浴びて出てくると薄日が差してきた。笛を持って出かけようとすると。

「熊が出ると言う話本当だそうだよ。散歩に行く人は鈴を持って鳴らしながら歩くらしいよ。風邪でも引いたらいけないから、こんな寒い日は止めなよ。」バアチャンの制止を振り切って「狸に会ってくる」と雪景色の中、出掛けた。木についていた雪が朝日を浴びたうえに笛の音に揺れて落ちてくる。とても練習どころの話ではなかった。でも川向こうで散歩の人が立ち止まって聞いてくれているのが目に付き止めるわけにはいかない。得意のものを3曲ばかり吹いた。寒かったが絵になった風景だったと自画自賛。狸も眠っているらしく出てこなかった。

獣道の傍でスミレが寒さを跳ね除けて微笑んでいた。立ち止まって周りの雪を取り除いてやった。おふくろが好きだったスミレの花を見られただけでも山にきた甲斐があった。

27日安曇野で小学校の同窓会。「篠笛を吹いてくれ」と幹事から連絡があった。寒いし、どうしようかと迷っていたがその一言で出席を決めた。単純。安曇野では「千の風になって」に挑戦してみようと練習開始。(まだ歌にならないが・・)

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2007年4月21日 (土)

増富報告・現実と奇跡

今回は二日目雪が降ったし、色々考えさせられることが一杯あった。バアチャンの報告から。

鹿児島から来たという二人連れの話。「再再発で匙を投げた医者から、医療では駄目でも増富温泉で癌が消えたという話を聞いた。それに縋って来るようになった。その医者がびっくりするほど影が薄くなった。」(この人の話は前にもブログでも紹介したことがあった。)

「車椅子で来た人が、帰る時は車椅子なしで帰った」

バアチャンから聞いた話を浴槽ですると「そんな話も聞くけど、駄目になった人は来られないから・・・ね。癌はそんなに簡単な病気じゃないよ」なんでも人の話にケチをつけたがるひねくれもんから意地悪な反撃。

「でも、俺はここに来てからマーカーが随分下がった。医者は注射・薬のせいだと温泉療法の話をするとご機嫌悪いけど、何でも効くんだ。と信じることが一番効果があるんだと思うよ」みんなが「ホント」かと言うように篠を注目した。バアチャンの話にけちを付けられたのが気に障ったのか、後三年と宣告されて33年生きてきた闘病の歴史を一くさりやってしまった。

出てから追っかけてきて人がいた。「マーカーが下がったという話本当ですね」と念を押してから、色々真剣に質問してきた。その人は「胃がんのステージ4と言われ切ってみたが拡がり過ぎていて完全に取りきれず、胃と腸をバイバスで繋ぐだけで閉じた。肝臓にもあるらしい。医者に思い切って余命を聞いたが・・・言葉を濁らせてしまった。」という実に厳しい状況のようだった。手術は3月したばかりでまだ傷口も真新しかった。「俺は後3年と言われ33年生きて来て、今また後2年?と言われているが、こうしてぴんぴんだ。奇跡は信じるところにやってくる」浴槽でした話を繰り返した」

「その話を信じましょう。62歳、もう少し人生楽しみたいですよ。でも、いい話聞かせてもらいました」思わず握手を求められた。

真剣な顔を見ると、実はこっちも参っているんだ。なんてとても言えなかった。長くなったので続きはまた・・。

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2007年4月20日 (金)

第五回増富修行終了。

5時30分冷泉修行開始。寒いせいか1番のり。6時になると一目で病人と分かるような人がロボットみたいに背をかがめて続々やって来て賑やかになる。一昨日話をしたオスとミーの人、篠の顔を見て安心したように側にやってくる。「昨日も何回かきたが混んでいた、あんたもいなかったから、止めてしまった」確かに無遠慮にじろじろ見る人もいる。病んでいる人を労わる心がない。

今回もまた色々学ぶことが多かった。中身はオイオイ。

お天気もいいし、もう一日・・・とバアチャンは言うが植木が心配。8時55分のバスで帰る。

メール、郵便物、伝言整理に2,3日掛そう。

明日からまた新規まき直し出直そうと決意。

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2007年4月17日 (火)

増富修行

今日から三泊四日で増富修行。生憎の天気だが娘が途中駅まで送ってくれる。今度はどんな人に会えるか楽しみ。山で思いっ切り篠笛の練習が出来る。お天気が心配。
「ホントに、効果あるの?」人の気も知らないでまだそんなこと言う人もいるが,無視。町内のことはお隣さんに頼んだ。

ブログはこの間お休みします。ブログ立ち上げて丁度三ヶ月経ったので冷泉で頭冷やしながら、どうやってもう少し千の風になるのを先延ばしできるか考えてきます。

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2007年4月16日 (月)

篠笛二重唱練習・人生勉強

篠笛教室、「蛍こい」の二重唱練習。二人組になって交互に吹く訳だが、片方が上手すぎてもいけない。速ければ速いように。遅ければ遅いように、相手の音をよく聞いて合わせるコツ。まるで人生勉強だ。副作用で左指がしびれ、高い音の指打ちが上手くいかない。先生が優しく丁寧に教えてくれた。これじゃ辞められない。

帰り馴染のすし屋で、青物ばかりで昼食。最近「久保田」を注文しないのを不思議がっていた。雨を予測して自転車をやめて正解だった。昨日植え直した野菜類皆元気になった。枝豆、モロッコインゲンも早いものは1センチくらい芽を覗かせて来た。増富から帰ってくる頃は、勢揃いだといいが。鳩が心配。
明日から増富。山の中で狸相手に篠笛練習することにする。でも、天気予報だと雨らしい。

コメントに珍しい方が加わってくれた。懐かしいね。威勢よく一杯やりたいね。

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孫と昼食ドライブ

孫が母親と合作の「ちまき」を持って昼食・ドライブの誘いに来た。彼女たちがよく利用すると言うスパゲティーやに連れて行かれた。色々注文してみんなで分け合った。初めて食べるものばかり。バアチャンはチーズがきき過ぎている。サラダ意外は口に合わないとか因縁つけながらデザートのケーキまで綺麗に平らげていた。

内緒だがと前置きして弟にガールフレンドが出来たことも教えてくれた。スーパーで色々買い物して帰った。階段が危ないからと、残っていた町内会費の集金にも付き合ってくれた。夕食は差し入れてもらった「ちまき」。

パソコンの調子がおかしくなってあちこち電話して何とか直った。

私の結婚式に
篠笛吹いてね
泣き所を知っている
孫の一言
千の風にまだなれない

何時のことだか分からない遠い先の話の中で、何気なく奮起を呼びかけている。増富から帰ってからのデイトを約束して帰っていった。次は相当の出費を覚悟。楽しい一日。

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2007年4月14日 (土)

最近の五行歌

五行歌横浜歌会「十周年記念歌集」の締め切り明日。投稿歌8首の中の2首。

癌に同居されて
夫婦お互いの
心の中に
棲家を見つけた
今が幸せ

一本の徳利
持て余しながら
思い切り
酔いに身を任せたい
千の風

終日庭で盆栽たちに遊んでもらう。合間を縫って町内会費の集金。留守の家が6軒もあった。今まで一度も話したこともなかった人と色々話をすることが出来た。昔一緒に探偵をしていた人の子供がいてびっくり。
コメントに新しい人が参加してくれた。歓迎。

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2007年4月13日 (金)

目標・目的が人間を強くする

入院中の知人のところに見舞いに行って、逆に病人から頑張ってくださいよ。と、何回も握手して励まされた。余程見た目にも病人らしい格好になってきたらしい。もっとシャキッとしなくちゃ。
病人には6月初孫が生まれる。始めは嫁さんの実家でお産をする予定だったが、初孫を一時も速くおじいちゃんに抱かせたい!と言うことでこっちで生むことに変更したらしい。病人は「元気になって孫の世話をしなきゃ。寝てなんかいられない。お祝いも弾まなければ」何か浮き浮きしていて、明るく前向きで病人とは思えない。何より病人を中心とした家族の絆の固さに感激してしまった。愛は強い!!。

U氏から「ガンと向き合って」の文庫本が贈られてきた。「初版本発行して5年目、今も突然の告知に苦しむ人や、不安を抱えて癌と向き合う患者、家族が全国にいる。そういう人々の孤独に少しでも寄り添えたらこんな嬉しいことはない。」と、文庫本発行の経緯などが送り状に書かれていた。携帯に電話。彼も元気で走り回っているようだ。仕事に打ち込むことで病気を忘れている。こっちも「負けてたまるか」その内飲もう!と言うことになった。目標・目的に向かって前向きに進めば怖いものはない。

道行く人から,なに造っているの?と声を掛けられ、サニーレタス、小松菜、万能葱などのおろのきをあげる。孫から日曜日ディトの誘い。

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2007年4月12日 (木)

ありがとう10万回で癌消滅

先日のコスモスで病室から参加した人、「こんなこと言うと馬鹿みたい。と笑われるかもしれないけど。どこかに、信じたい気持ちあるんです。{ありがとうございます。と10万回言ったらガンが治った}と言う話なんです。挑戦してみたが途中で雑念が入ってしまう。でも、こんな話でも縋りつく藁になるじゃありませんか」話す本人も、誰も信じられないそんな話も、何もないよりましだ。かなり厳しい状況の人がこの前とはまったく違って、元気で笑いながら話すものだから、皆が一斉に笑い出して会場の雰囲気は和やかになった。「来月もみんな元気で参加しよう」病室に引き上げる人も笑顔で握手して帰っていった。

こんな素晴らしい話この間は何か落ち込んで、書き落としていた。この笑顔を絶やしたくない。
奇跡は信じない人のところには起こらない。「負けてたまるか」の精神を忘れず、奇跡の人に変身。

町内会の長老(88)が亡くなってお通や。また一人先輩がいなくなり順番が近づいてきた。精進落としの席は老人会の会合みたい。お通やを楽しみにしているのかと思うくらい、せっせと摘まんで、飲んで噂話に夢中になって、足元がふらふらしてもなかなか引き上げようとしない人もいる。桃の花を引き取ってくれた人が何人かいて、まだ咲いていますとお礼を言いながら挿し木して付いたら是非くださいとチャッカリ注文。自転車だからと皆の心配顔を後に引き上げた。南無阿弥陀仏。

一日中庭で植木たちと遊ぶ。心配していたウチョウランが動き出してきた。どんな花を咲かせるか楽しみ。

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2007年4月11日 (水)

終末期医療の指針骨子

尊厳死や終末期医療について関連のリビングウイルなどと共にこのブログでも何度か取り上げてきた。先日厚生労働省で終末期医療の指針骨子をまとめ発表した。新聞を見る限り、肝心の延命中止と刑事責任などについては棚上げされており中途半端なもの。塩爺がコメントで心配しているので発表の要旨などに触れておく。

 厚生労働省は9日、死期が迫った患者に対する終末期医療の決定手順について、「患者本人の決定が基本」と定めた初めての指針を大筋で決定した。患者の意思を文書に残すことを明記し、患者の意思が確認できない場合は「家族と医療従事者との十分な合意が必要」と指摘した。さらに、医師の独断によるトラブルを避けるため、複数の医療従事者によるチームでの判断を求めた。

 指針は、厚労省の検討会(座長・樋口範雄東大教授)がまとめ、本編と解説で構成。細部を修正のうえ、近く厚労省が正式決定し、自治体などを通じて全国の病院に周知する。人工呼吸器の取り外しの基準や、刑事責任の免責などには踏み込んでいない。   

終末期医療の指針骨子
1 患者本人の決定を基本として終末期医療を進めることが最も重要な原則。
2 医療の開始、不開始、変更、中止などは医療・ケアチームが慎重に判断する。
3 治療方針の決定に際し、患者と医療従事者の合意内容を文書化する。
4 患者の意思を推定できない場合は家族と話し合い、患者にとって最善の治療方針をとる。

としているが,肝心の延命中止と刑事責任については棚上げされており中途半端。まだまだ人生の締め括りをお上には任せられない。最期は自分で決めなければならない。最低でもリビングウイルは必要。そんな思いを新たにした。

三途の川は篠笛を吹きながら悠々渡りたい。それが残された夢のような大切な夢。日々を悔いなく、周りの人に感謝、心と心の絆を大切に生きることがJBKに繋がる。そう信じたい。

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2007年4月10日 (火)

昔の仲間

茅ヶ崎で骨董探偵会議。白髪頭が8人集まった。去年2人、これまでに6人が千の風になっている。
昭和29年、厚木基地を管轄するところで探偵になった。年が若く異例のことだった。丈夫で柔道と正義感と向気が人一倍強いところが認められたらしい。
朝鮮戦争の最中で、1ドル360円だった。柔道を指導していたMPに給料は?と聞かれ月給4500円(2回分割)と言っても、週給だろうと信じなかった。MPから柔道の教授料代わりにもらうラッキーストライク、キャメルなどヨウモクやウイスキーは田舎への最高の土産になった。そんな時代で自動車はなくどこに行くにも自転車があればいい方だった。今では考えられない武勇伝も一杯あった。

酒が入るとカラオケになった。何故か笛を持っていかなかった。飲めないし、喋っても通じない。もっぱら聞き役注ぎ役を務めた。たかがカラオケと言うがクラブに通って練習している人もいた。ただがむしゃらに怒鳴るだけでなく、そういう人の歌は一味違っていた。金を掛けただけのことはある。2次会の声の掛からないうちに引き上げた。

最近コメントが多くなってブログ本文より内容が濃くて勉強になっている。嬉しいね。篠笛も頑張らなければと覚悟を決め直した。梅ちゃん、こころちゃんの強いのは、いつも明るくて、前向きで「奇跡の女」の素質を持っているからだ。真似しようね。

藍ちゃんのお父さんのように千の風になれる人は滅多にいない。何よりご本人のお人柄が誰にも真似ができない。千の風になられた時、それまでよく分からなかった「人間生きたように死ぬ」と言う言葉の意味がボンヤリ見えたもの。

病は奪うだけじゃない。色んなものを、いろんなことを教えてくれる。しっかり頂こう。大事に扱ってやれば、相手もわかって少しは静かになってくれるかも。乾杯の酒がまだ残っているのかな。あいつはそんなにヤワじゃない。

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奇跡の配達人

昨日のコスモスは病室からの参加が3人もおられた。厳しい現実の中でお互い心が通じるようになった。今が最高に幸せ。と笑みを浮かべて体験を語るご夫婦。

遠くから来てくれた友人が花見に連れて行ったくれた。綺麗だった。元気を取り戻した。こんな友人がいることが幸せ。と明るく語るわが子をジット見詰めるお母さん。

お父さんが心配と仕事を休んで参加した親孝行の娘さん。

みんな優しい心で結ばれた強い家族の絆と、絶やさない笑顔に心を打たれた。ブログでは会の性質上余り詳しく書くことが出来ないので、チョット感傷的になった部分があってご心配をおかけしたよう。元祖「負けてたまるか」がここで負けるわけには行かない。奇跡の配達人を修行してみようと、真剣に考えている。

今日は半世紀前(昭和29年ごろ)一緒に探偵だった仲間とお互いの無事を確認しあう会。ガン太郎も同席。

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2007年4月 9日 (月)

奇跡を祈る

篠笛教室。コスモス。

これでもか、これでもかと襲ってくるガン太郎に必死で闘いを挑む中で、幸せを見出した夫婦の絆。共に奇跡を祈るより他に道がないことが切なかった。言葉で言い表すことの出来ない、そんな壮絶とも言える真剣な集まりだった。
行く前は雷を伴った雨だったのに、外に出ると嘘みたいに上がっていた。奇跡が起こる前兆かもしれない。そんな淡い期待を持ちたくなった。帰り道、雨に打たれ散った桜の花びらで敷き詰められた坂道を登る時、自転車が泣いていた。疲れた。

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2007年4月 8日 (日)

選挙棄権の訳・バアチャンの声

選挙投票日、バアチャンは欠。自転車でを坂道を登っていくと「元気だね」と声を掛けられいい気分。立会人席に昨晩町内会役員会にいた人の顔が並んでいて、皆がバアチャンのことを話題にする。「騙されるのが嫌だって言ってる。」そう答えて引き上げた。

少し遠回りして街を一周して帰る。どこの家の庭先にも様々な花が咲いていて飽きない。散りかけた桜の花の中で、ウグイスが歌の練習をしていた。いよいよ春だ。笛の練習。

清き
一票
土足で
汚く変える
政治屋

医療費は上がる
利子は付かない
もう騙されるのが
悔しいから行かない
バアチャンの声

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2007年4月 7日 (土)

ウグイスのお見舞い

うるさい選挙戦争がようやく終わって町に静寂が戻った。

開発開発で狭くなった林に帰ってきたウグイスの鳴き声が聞こえてくるようになった。練習不足らしく可愛そうにまだ幼稚で谷渡りが出来ない。天気の具合を見ながら、笛を持って慰めに行こうと思う。

町内会新役員会。年齢では2番目だった。たいした会議ではなかったがそれにしても、人の話を無視して、ベチャクチャ喋っている人(おばちゃん)を注意するより、ただ感心。

今月投稿の五行歌

楽しいことって
なーに
素敵な人を
ヒソカニ
想うこと


一本の徳利
持て余しながら
思い切り
酔いに身を任せて
千の風

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2007年4月 6日 (金)

松坂大輔に付き合った一日

少し早く寝たせいで朝異常に早く目覚めた。何の気なしにテレビのスイッチを入れると松坂が投げていた。松坂大輔の大リーグ初登板を見たいとは思っていなかったが、ツイツイ終わりまで観てしまった。やっぱり天晴れ凄い奴だ。一日中このニュース。
コマーシャルの間に発信してしまったブログの訂正を思い付き、若干手を加えた。梅ちゃんにこんな時間に・・・。と見つかってしまって不審がられた。早起きの裏話はこんなところ。

昔お世話になった方から「心臓に問題が発見され治療中。一人で考えているとノイローゼになってしまう。{JBK}{リビングウイル}について詳しく知りたい。何かいい手立てはないか?」真剣な電話。どこかでブログ「JBK友の会」の事を聞いたらしい。

JBKは出来ないことではない。自由奔放に生きていた田舎の親父は、前の晩兄貴と飲んで寝て翌朝千の風になっていた(83歳)。と実例を話して、パソコン嫌いのこの方に本棚の中から質問に関連することが書かれている本を選んで送った。定年退職する郵便局長がら「いつも花をありがとう」と挨拶された。後任も知っている人。

どんなに勉強しても、幾ら金を掛けても、「JBK」を望み通り達成することは、夢の世界。だが、心掛け次第で少しずつ近づくことは不可能ではない。そう信じたい。似たような電話が他にもあった。JBKへの道を確立できれば大変なことだ。修行の価値は存在する。その道をガン太郎と共に探すのが今の生きがい。

市から広報など各戸に配布する資料がどっさり届けられ、バアチャンが区分けし、配布。階段の上り下りもあって結構運動になる。でも、途中「笛楽しみ聞かせ貰っていますよ。特に、「青葉の笛」は大好きです」そんなことを言ってくれる人がいて子供のように嬉しかった。植木好きの人のところでは講釈を一くさり。これから1年・・・。やり遂げたい。

自然栽培野菜好きの知り合いにブロッコリー、ホウレン草、チンゲン菜などを手でつまんで届ける。とうがたって味は落ちるが貴重な自然食。虫にやられるより先に人様に喜んでもらえれば何より。これもJBKへの道の一つ。

なんで、一日あったこと全部書かなきゃいけないの?ふとそう思った。書けるうちだよ。そんな野次が聞こえてきた。

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ベルマーク新聞・心の架け橋

「ベルマーク新聞」というこれまで見たこともなかった新聞が送られてきた。
この新聞の第403号(4月10日発行)に「{負けてたまるか}病との闘いも」というタイトル、囲みの4段署名記事で、病と闘う篠笛やお袋のこと、JBK友の会のことなどまとめた記事が載せられている。筆者はブログのコメントにも何回か書き込みをしてくれたことがある、30年来のお付き合いの元事件記者氏。篠が忘れてしまったようなことまでふんだんに盛り込まれれている。千の風になった仲間やお袋の喜んでいる顔が目に浮かぶ。

一緒に送られてきた「402号」には筆者が少年時代呉服店経営だった家の手伝いで雪の降る晦日に3000円を集金して帰って来た時、「お客さん一人ひとりのお陰で,生きとっとよ」と世の中の仕組みを教えたお母さんのことを書かれた「雪の夜道、{3000円}の灯は今も」は泣かされる。また、「人は様々な人に支えられて生きている。少しでもお返しが出来たらまた素晴らしい」文中にあるこの言葉、ズッシリ重く受け止めた。

デカ(探偵)とブンヤ(記者)は事件を挟んで抜こう、抜かれまいといった微妙な関係で繋がっている。お互い腹の探り合いで時には敵対する時もある。それが、退職して20年もオー、ヤアーと付き合いが継続しているのは一般的には世にも不思議な物語である。そこにあるのは、「人生・人様のお陰。お世話になった人に恩返しを。人は心と心」というお袋の愛情・教育を忘れず抱き続けていることが「心の架け橋」となっていたのだと今回送られてきた新聞を見て強く感じた。
二つの記事いつか「JBK友の会」の読者の皆さんにも読んで頂きたいとコピーした。コメント有志会楽しみ。

控え目に咲き出したムベの花が満開。珍しげにジーと見て、「何の花ですか?」とわざわざ聞きに来る人もいる。去年種蒔きして芽を出したのをプレゼント用に鉢揚げした。

万能葱、サニーレタスの苗を是非欲しいという人が居て差し上げた。最近は花屋か植木屋さんになったみたい。先日蒔いたモロッコインゲンの土の表面が少し地割れしてきた。いよいよ発芽だ。鳩に用心。色々忙しい。

ブログの発信時間を少し変えてみた。昨日注射したせいか、発作に2回襲われた。そんなことに「負けてたまるか」

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2007年4月 4日 (水)

待合室風景・マーカー下がる

8時にGセンターへ。採血室は一杯で廊下に行列が出来ていた。マスクをしている人が目立った。誰にも笑顔はなくガン病院特有の重い雰囲気が漂っていた。椅子に座っていた女性の顔見知りが現れ席を譲ってもらい二人は並んで話し出した。一人は耳が少し不自由なのか話し声は採血室全体に響いて余りあった。

話は病気から人の噂話など、とどまることがなかった。病気の話はともかく噂話は耳障りだった。二人から一人置いたところにいた老人が持っていた杖で女性を突いて、「おしゃべりするなら廊下でしなよ。五月蝿くてしようがね」と注意。杖を付いていたので篠が席を譲った上品な老人だった。みんなイライラしている。注意は納得したが、杖を使ったのには驚いた。その一声でまた一段と重い空気に替わった。

採血を終え診察室に向かう廊下で後ろから肩を叩かれた。篠と同じように手術後遺症で一時声が不自由になったOさんだった。「負けてたまるか」が出版された頃新聞に紹介記事で書かれた、針治療のことを知りたいと電話がありアドバイスした。それから彼は彼なりにインターネットで探し治療を受け声も復活して職場復帰した。それ以来年賀状のやり取りのお付き合いが続いている。五年目一緒に手術した仲間の多くは千の風になったが、今バリバリ現役で働いていると元気そのものだった。積もる話をしたかったが彼に順番が来て再開を約束して別れた。元気な人に行き会うとパワーをもらえるから嬉しい。

マーカーが前回より下がっていた。会計が終わったのは11時20分、薬代を含めて今日の治療費29、940円。ガン太郎も、財布も気になる。何だか疲れ、2時間昼寝。

安曇野は雪だそう。寒いわけ。庭に出られないと気も滅入る。誰か春の差し入れしてくれないかな。

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嫁入り先から・カリンの花便り

高校選抜野球決勝戦。熱戦だったがどちらも力を出し切ったいい試合。勝った方も負けた方も笑顔で清清しかった。

昔一緒に仕事をした仲間の退職記念に、実生から育てた二本立ちのカリンの鉢植えををプレゼントした。そのカリンが今年も可愛い花を咲かせた。と、コメント便りを頂いた。大事にしてもらっているらしく、毎年こんな何より嬉しい便りを頂く。

カリンの花は可憐そのもの。淡いピンクで花咲きが早い。花が開く前から実になる花とならない花がはっきり分かる。沢山実をつけるが余り付けすぎると木も弱るし秋の収穫までとどまってくれない。セイゼイ一枝に一個に調整してやた方がいい。枝の伸びも芽摘みを早く小まめにしてやらないと鉢に収めておけなくなる。でも、枝を切りすぎると花を咲かせない。何でもそうだが毎年花や実を楽しむには、一にも二にも愛情。

これで千の風になったときの訪問先が出来た。挿し木した桃が上手く根付けばモットモット訪問先が増える。仲間のところに嫁入りした木と兄弟が畠の角に地植えにしてあるが実をつけない。肥料のやりすぎか枝の切り過ぎと愛情不足。それにしても寒さが逆戻りして植木たちがかわいそう。
Gセンター。検査・診察・注射。長い待合室修行。誰かに合えるかもしれない!そんな期待もあるが、考えるだけで気が重くなる。

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2007年4月 3日 (火)

蝶々との闘い・無農薬野菜造り

選挙宣伝カーがひっきりなしに回って来る。戸別訪問らしい人などが話し掛けてきて、五月蝿くて落ち着いて植え替えも出来ない。「お騒がせしてすみません」とスピーカーで怒鳴るがそう思うなら止めればいい!!。
桃の花の評判がよいので挿し木を一鉢増やしてみた。万能葱が数箇所根切り虫(夜盗虫)にやられた。根元を静かに掘って、死んだ振りした奴を3匹捕獲した。

蝶々が畑を巡回し出した。蝶々が舞って優雅だなんていっていられない。蝶々が舞った後2,3日すると青虫の幼虫がうごめき出す。小さくて分からないが葉に穴を開けるからそこを中心に探してつぶしていく。無農薬野菜を作るにはこれから毎日この蝶々との戦いが続く。無人島に流れ着いて食料を探す時、有毒かどうか判断する基準は虫が食っているかどうかが大きな決め手だそうな。虫が付くものは害もなく美味しいと言うこと。でも、不思議にレタスには余り虫がつかない。

モロッコインゲンと枝豆、種蒔きをしたと書いただけなのに、もう貰い手が出てきた。上手く出来ればいいがこの種類今年初めての挑戦。お楽しみ!!。待っててね。

日本のプロ野球もアメリカリーグも開幕。高校野球は決勝戦。

篠笛教室大先生の日で「ほたるこい」の2重唱を教わった。緊張したせいか発作もあって、練習不足は惨めなほど哀れだった。忙しくて・・・なんて言わずに気を入れて練習に励まなくてはと反省。

カナダ、中国、北欧、スペイン、フランス、など一緒に旅行した仲間から夕食のお誘い。飲めないが出掛ける。

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2007年4月 2日 (月)

人は理想を失った時・老いる

昨日のブログをヘンリー・フォードの言葉で締め括ったところ言語楼さんから、マッカーサー元帥が執務室に掛けていて日本でも有名になった。ロバート・ケネディがエドワード・ケネディへの弔辞に引用したと言われる「青春」という素晴らしい詩の一節を送ってもらった。なかなかいい言葉なので「JBK友の会」を読んでくださる方にご披露する。
「年を重ねただけで 人は老いはしない 理想を失うときに  初めて老いがくる  歳月はひふのしわを増すが 情熱を失う時に 精神はしぼむ」
                                                                                                                                                                                                       言語楼さん有難うございました。これを篠流にすると
ガン太郎に住み着かれただけで
負けることはない
「負けてたまるか」の気力を放棄し
闘うことを諦めた時が                                        千の風になる時
学ぶことは多い。

春を告げる使者を務めてくれた桃の花も、2日続いた強風でほとんど散ってしまった。下の方に僅かに残った花を通り掛かりの人が足を止めて褒める。触れば散ってしまうがそれでも欲しいという人には切ってあげる。注文も多いので挿し木を増やした。       去年挿し木をした山紫陽花が小さな蕾を覗かせてくれた。楽しみが増えた。

篠笛教室。枝豆、モロッコインゲンの種蒔き。(少し早いが・・・)

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2007年4月 1日 (日)

もう一度会いたい人・増富修行

浴槽で上品な老人(86歳現役のダンス指導員)と何回か顔を合わせた。若干耳が遠いのか、篠の声では耳の側で話さないと通じないことの方が多いようだった。でも、話し出すと一方的に話し続ける。話は軽妙で内容もなるほどと思うことが多かった。
大正生まれで元近衛兵の士官。終戦後の残務整理で苦労したらしい。昭和36年から働きながら夜間のダンス専門学校に通い師範課程を卒業。二年前まで20人くらいにダンスを教えていた。現在も個人レッスンを受けながら教室に週4日通い指導を手伝っている。

「絶えず新しいことを学ばなければ人には教えられない。昔話や自慢話では今の人は付いてこない。誰でも一律な教え方では駄目。それぞれのレベルに立って話しをしなければ、どんなに立派なことを言っても理解されない。生徒の程度によって教える言葉も方法も変えていかなければ効果は上がらない。教えることは学ぶこと、教わること。毎日が勉強。人生もそうだが、ダンスもパートナーが大切。自分だけ上手になっても駄目、切磋琢磨。形・見た目も大切。全ては歩くことが基本。毎日10キロから20キロ歩いている」

確かに86歳とは思えない、歩く姿も隙がなく品があった。話すことも一言一言に薀蓄があった。腹部に大きな手術痕があった。増富には20年来ているといっていたが、この老人は珍しく病については一切語らなかった。
途中から余り対話をしなくなった。篠と他の人との会話を聞いて声が不自由で、話をするのが苦しいと解釈したようだった。人のことを思いやる優しさを持っていた。顔を合わせたり、先に出て行くときは篠の顔を探し優しい笑顔で手を上げて軽く会釈してくれた。是非もう一度合ってみたい。ダンスを見たり、ゆっくり話を聞きたい。こんな人がまだいた。

「年を重ねたから{老いる}のではない。学ぶことを止めた時、人は老いるのだ」以前M氏から送られたヘンリー・フォードの言葉を思い出した。

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