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2007年8月20日 (月)

友情の桃

暑いと言っても風は秋風に変わって早朝は涼しくなって汗も少ない。

山梨の友人から大きく美味しい桃を送ってもらった。お礼の電話で久しぶり昔話に花を咲かせた。奥さんが取り次いだが、電話に出てくるまでに少し時間が掛かった。

彼も足腰が弱ってゴロゴロしていて立ち上がるのが難儀らしい。家から50おメートルのところにスポーツセンターがあるらしい。と聞いて水中歩行を勧めた。早速今日からでも行ってみると、少し元気が出たようだった。

彼とは現役時代柔道仲間、大外狩り、内股、払い腰、が得意だった。勤務が終わってからも道場で汗を流し合った。大磯の吉田元首相私邸や葉山の御用邸の警備など思い出は尽きない。当時まだ「遊郭」が公然と営業をしていたころで先輩に連れられて冷やかして歩いたこともあった。ガン太郎との付き合いは同じくらい。増富湯治は大先輩。

彼は厳しい業務の中を、夜間大学を卒業した努力家。篠も一緒にと誘われたが遊びに夢中で断念した。家庭の事情で志半ばで退職。田舎で盆栽、桃や柿を栽培して毎年贈ってくれる。

肺手術の前日わざわざ見舞いに来てくれた。腹が張って調子が悪いと言うと、大きな手でへそを中心にゆっくりマッサージしてくれた。不思議に腹がゴロゴロと動き出し気分がよくなった。「気が気に伝わったんだ」と説明してくれた。大きな手の温もりの感じは今でもと鮮明に残っている。何でも話せる数少ない話し相手。一度会ってゆっくり昔話をしようということになった。

桃は新鮮で大きくて美味しい。孫たちにも分けてやった。

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コメント

我が家は貧乏公務員の一家でした。父が発病したのは退職直後の54歳です。家を新築している最中で、子供5人は中学生から社会人1年生でした。家計は大変だったようです。父の旧制高校時代の友人が集まり、父を立派な病院の個室に入院させ、医療費まで面倒を見てくれていました。50年位前ですから自宅には冷蔵庫はありませんでしたが大きな冷蔵庫を備えてくれました。一日1本の抗がん剤の注射は保険がきかず、相当高価であったと記憶してます。友人がしょっちゅう病院を訪ねては元気付けてくれ、父もそれが唯一の楽しみであったようです。病床の父は「友情が俺を生かしてくれているんだ。元気にならなくては」と口癖のように言い、病魔と闘っておりました。当時高校生の私は「立派な人たちだなあ、ありがたい」、だが「どうしてこんなに父の面倒を見てくれるのだろう」と不思議でしたが、成長するに従って友情が理解できるようになりました。こんな暖かい友情を受けた父ががいまでも羨ましく思います。

投稿: St.トロン | 2007年8月20日 (月) 10時33分

篠笛さんの友情も、私の父が感じた友情もお金や物でなく、抽象的で形がありませんが、人間の成長に欠かせないものだと思います。
座していて友情が育つわけでもありません。
やはり篠笛さんの温かい心が友情を育てるのだと思います。

投稿: St.トロン | 2007年8月20日 (月) 10時38分

友情の桃は甘かったでしょう。頂いたモロッコインゲンは全滅の中生き延びた生命力に満ちて、紫蘇はみずみずしくておいしかった。丹精込めて作られたものを頂いてありがとうございました。
 いつも篠笛さんの人を思う気持ちを感じながらプログを拝見させていただいております。

投稿: めがねちゃん | 2007年8月20日 (月) 12時15分

 篠さんの友達の話、St・トロンさんのお父さんの話、本日はいい話を読ませていただいて、気持ちがいい。類は類をよぶというけれど、まさにその通り。コメントしてくれる人々はみんな心優しい人たちだね。
 篠さんは本当に幸せ者だ。これでガン太郎が参ったといってくれれば、言うことはないけどね。

投稿: 異風坊 | 2007年8月20日 (月) 14時36分

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