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2007年8月13日 (月)

原爆被爆体験者の怒りのメッセージ

先日このブログで長崎原爆記念日を取り上げたところ、辛い、悲しい、切ない、被爆体験者のご家族から生々しい被爆体験と、今なお続く後遺症と闘いながら篠笛頑張れとご声援メールを頂いた。
貴重な被爆体験を私独りが聞き流してしまってはならないと、ご本人のご了解を得てメールの原文をそのままコピーして転載することにいたしました。
早速のご承認有難うございました。
どうぞ、亡くなられたご家族の分まで長生きされて「20世紀最大の無差別殺人」の被害者の生の声を世界中に伝えて頂きたい思います。
原爆被爆体験者の怒りのメッセージ
今晩は。連日の猛暑、酷暑の方が正確かもしれませんが、本当にお忙しい毎日を送られているのですね。
JBK友の会のブログ拝見させていただきました。
篠笛さんのブログは、命あるものに対する憐れみの情、それと無常観を読み取ることが出来ました。
お仲間の方のブログも心理描写が本当に生き生きとしてり、私の心にしみこんできます。
コメントを寄せられている方々との強い絆、また、五行歌、囲碁のお仲間との連帯感には感心します。それと、JBKブログを立ち上げ、毎日更新していくエネルギーには驚くばかりです。
ブログのなかに原爆記念日のタイトルがありましたが、私の広島の原爆感についてお知らせします。女房の家族は爆心地から1.5キロメート地点に居住しておりました。
  私の女房は被爆者です。父と2人の兄、姉の4名はは8月6日の朝、外出したまま帰宅せず、 被爆死と断定されました。残っ たのは母と兄1人、姉2人だけでした。
  女房は当日母親の背に抱かれていましたが、閃光の直後、爆風で吹き飛ばされ、 母親は倒壊した家屋の下で失神したそうですが、兵隊に助けられたそうです。
  母は夫や子供を捜して2週間くらい爆心地を中心に探し回りましたが、遺体は どんどん火葬されており、探すことは出来ませんでした。兄と姉の2名は火傷を負い、 熱い、熱いと言いながら川へ入ろうとしましたが、道路は勿論のこと、川には多数の死体が浮遊しているため、兵隊に止められたそうです。
  母は夫や子供が必ず帰ってくると言って倒壊して跡形も無くなった自宅近くにとどまっていたのですが、勿論会えることはありませんでした。それでも諦めることが出来ず、1年位広島に留まり消息を求めて探しておりましたが、とうとう諦めて子供4人を連れ郷里に帰ったのです。その後兄がガンで亡くなり、母も14年前に旅立ってしまいました。
  3人の姉妹のうち、女房と1番上の姉が肺がんで、肺の切除をしております。真ん中の姉もガンではありませんが、病気に悩まされており、寝たきりの義兄の介護の毎日です。
  義母は生前私に、「原爆もつらかったけど、その後の生活の方がつらかった」と自分の子供にも言わなかったことを語ってくれました。
  ある時病床にある義母を見舞ったとき、少しボケが来ており、記憶が蘇えるまで時間がかかりましたが、私に「皆忘れてしまえばあの世に行けるんだけど、この世に執着があるから行けないんだよ」と言ったことが私に対する最後の言葉になってしまいました。
62年経っても放射能障害に悩まされている多くの人がいるのが現実です。自民党のピンボケ閣僚のような「しょうがない」発言は許されません。原爆投下は20世紀最大の無差別殺人であり、ユダヤ虐殺の比ではないと思います。
コスモスの会の緒方さんにお詫びとお礼をお伝えしました。
夫婦共々「負けてたまるか」の根性で頑張ります。
篠笛さんのガン太郎が早々に退散することを願っております。

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コメント

私が一番泣いたのは昔「はだしのゲン」を読んだ時です。バスタオル1枚分。広島・長崎を訪れ、語り部からも沢山お話を聞きました。修学旅行で長崎に行ったとき病人が出て深夜診察して貰った病院名が「原爆病院」とあり驚きました。今でも沢山の方が苦しんでいるのに9日長崎で柳沢大臣は「原爆症認定基準は見直さない」と発言して怒りをかっていました。私の川柳仲間は「被爆者を理解していない柳沢」と切り捨てていました。私は被爆で苦しんでいる方が一人でも居る限り「戦後」を終わらせてはいけないと思います。私の友人のご主人も被爆者で永い間教育現場で沢山の生徒に「核」の恐ろしさ「戦争のおろかさ」を伝えてきました。被爆体験者の方からの生の思いを大切にしていきたいです。今日のブログはドッシリと胸にきました。

投稿: お梅 | 2007年8月13日 (月) 12時26分

同じ辛い思いをされた方の生のお声をお聞きして身が引き締まる思いです。
痛い、苦しいとも言えずに亡くなった家族を思い出してしまいました。機会があれば直接お会いしてお話をお聞きしたくなりました。どうぞいつまでもお元気で被爆体験を世界に向かって発信し続けてください。

投稿: つらい仲間 | 2007年8月13日 (月) 18時20分

私の大先輩で、東京女学館卒業の黒川万千代さんは、広島の語り部で、世界に行きます。広島の心を伝えています。世界の人たちの平和を祈って、お話にいきます。

投稿: 藍弥生 | 2007年8月13日 (月) 21時48分

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