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2010年9月 5日 (日)

回転すしで浮かんだ仲間

おすし屋さん

回転すしのカウンターに座ったとき、お屠蘇の招待をしてくれた戦友の顔が浮んだ。

彼とはGセンター待合室で顔を合わせて以来、時々個人的にも話し相手になっていた。 

私鉄沿線の駅近くに一軒店を持った寿司職人さんだった。

看病疲れで奥さんを亡くし、暖簾分けをしたり散々面倒見た仲間もいたが長患いを見て、寄り付かなくなった。

頼りにしようとしていた者ほどいざと言う時頼りにならない。これも俺の人徳。と自嘲気味に笑っていた。  

健在のお母さんが心配

彼には80歳を越したお母さんが健在で老人会の仲間たちを大勢引き連れ手見舞いに来ていた。そんな見舞いを嫌っていたようだったが口に出しては言えないようだった。

「オフクロには散々迷惑を掛けてきた。あのオフクロを残して先には逝けない」

自分の病気よりお母さんのことが一番気掛かりだった。

主治医に突き放される

彼の思いとは別に病はどんどん成長を続けていた。

「放射線も抗がん剤も許容量を越えた。これ以上の治療続行は副作用の方が心配。治療を休み免疫力アップを待つより他に方法はない」            

彼は主治医にそんな言葉で突き放された。

大勢の患者が通らなければならない一番辛い最期の宣告

緩和病棟入所の相談

辛い決断を迫られ、ゆっくり会いたいと言ってきた。

「いろいろ考えたさ。もう逃げ道がないことは身体が承知している。家に居座っても皆に迷惑掛けるだけ。

放射線で焼けた後がジュクジュクしてオフクロガ毎日ガーゼの交換をしてくれたいる。逆縁は最高の親不孝だが、オフクロにこれ以上辛いことをさせられない。

お陰で疎遠になっていた倅ともじっくり話し合い、遺産分割もかたを付けた。

入退院の繰り返しで病院は何処に行っても顔パスだ。惚けよりましだよ」。

力なくおどけて見せた。

緩和病棟入所書類提出

「ホスピスへ入所書類を出したよ」

彼は私の顔を見るなり、さりげなく重大宣言をした。一か月前ホスピス入所の相談をしてきた時とは雰囲気が変わっていた。                  「あの世は嘘の通じない心の世界。心と心を通じ合った者とは再会出来る。あそこから嫌だと帰って来た人はいない。満更でもないさ」。     

「悔しいが、いつもあなたが言っている嘘みたいな真実を信じることにした。オフクロのことが心配だが仕方がない。

覚悟を決めると、不思議に落ち着き楽になった。向こうで会う人の名簿もできた。       

“一日一日を大切に”               

その意味を今、切実に噛み締め過ごしている」

一か月前私が言い淀んだホスピスの実態、身辺整理、遺書など全てを理解していた。

医師への恨み言葉もなく、諦めから悟りの境地に踏み込んでいた。覚悟を決めた人のすざましさが感じられた。      

在り来たりの慰め言葉は掛けられない。 

孫の見舞い

娘が二人いてそれぞれに孫が二人いた。彼の唯一の楽しみだった。

何回か病室で顔を合わせた。

病院食は食べられなくなって栄養士の資格を持つ彼は自分で特殊のジュースを造って飲んでいた。

「孫のおやつ」にと子供が好きそうなお菓子を持っていくと涙を流して喜んでくれた。

「何もお返しができないが、もう俺は使えない」。と切手を何枚かどうしてもと握らされた。                      

おとその招待   

「お正月は外泊して市場から生きのいいのを仕入れて豪勢にやるよ。連絡する。来ないか。

篠笛を是非聞きたい。あんたと居るとあの世逝きも楽しくなるからさ」。                   

何回も咳ながら絞り出すように啖を出しティッシュで涙と鼻を一緒に拭き、重い話を冗談を交え淡々と続けた。    

「そうだな、旨い地酒を持って行くよ」。そう言うと、「ほんとだぜ」。                ほほ笑み、両手で握手を求めて来た手をしばらく離さなかった

「ご自宅にお帰りになった」

篠笛を吹きながら、彼とお屠蘇を飲めるのを楽しみにしていた。

それっきり連絡はなかった。

病室を訪ねたが彼の名札が見当たらなかった。看護師に訊ねたが「ご自宅にお帰りになられました」と言うだけだった。

駅前の店に行ってみた。名前が変わっていた。あのまま旅に出たことが分かった。

ご冥福をお祈りするのみ。

慰めようとしない方がいい        

涙を隠しソッと

  思いやる心が大切

  逝く人の

  思いは複雑

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コメント

慰めようとしない方がいい・・・
本当ですね・・・傍で黙って胸の裡を聞いてくれる篠笛さんがいた。何よりだったと思います(_ _)

投稿: 撫子 | 2010年9月 5日 (日) 21時16分

何だか テレビドラマを見ているようで その光景が 浮かんできます。

ところで リクライニング付きの ベッドの寝心地は最高でしょうね~

投稿: ふくろう | 2010年9月 5日 (日) 21時16分

 寿司職人さんのお母さんを思いやる気持ちや、避けて通れない宿命に身を委ねた壮絶な人生に思いを致すとき、胸が締め付けられるようです。
 特に、篠笛さんの話題は、実話であるだけに自分の将来像と重なるような気持ちになります。
 寿司職人さんのご冥福を心からお祈りいたします。

投稿: ライス | 2010年9月 5日 (日) 21時37分

父も、切手と往復はがきと原稿用紙、いっぱい残して行きました。ひろ、使えばいい、誰も使わないから、って。あとは、病院の伝票を貼るメモ帖。段ボール1箱分.ホスピスに行っても、持ってきなさい、って言って、貼っていたっけ。好きなことしなよ、っていっても、きかなかったっけ。

投稿: 藍弥生 | 2010年9月 5日 (日) 22時55分

篠さんを相談相手に持った寿司職人さんは、人生の最後を心安らかに過ごされたことと信じます。戦友のご冥福を心からお祈りします。「一日一日を大切に」、身に沁みます。

投稿: 竹 | 2010年9月 5日 (日) 23時06分

篠笛さんのやさしさとあたたかい感性がにじみでていて、胸がいっぱいになりました。
実は彼は、篠笛さんにだけ心を開いていました。いろいろ思い出されます。

投稿: なっちゃん | 2010年9月 6日 (月) 16時18分

なっちゃん
想い出していただきましたか。
いろいろあったことを聞いて訊ねたのです。彼も寂しかったんですよ。もろ手を挙げて歓迎してくれました。
彼の紹介で病棟の責任者とも知り合いになれました。この方とはQOLでパネリストとしてご一緒したことを思い出しました。

ご家族と余りお付き合いがなく最期のお別れとなってしまった日、お孫さんと一緒になりました。そのとき彼の方から「みんなで記念写真を撮ろう」と看護師さんを呼んで撮って貰った写真が頂けなかったのが残念です。
そして最期のお別れもできなかったのが心残りです。
敢えてイニシャルも使いませんでしたが、思い出していただいてよかったです。
いつか彼のことなど語る機会があれば・・・と思っております。
コメント有難うございました。
誰かに残しておきたい方が次から次と浮かんできます。

投稿: お篠 | 2010年9月 6日 (月) 17時09分

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