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2012年1月13日 (金)

武道始式・ポックリ死

地元旭警察署武道始式。

通知を貰ってあるのを思い出した。昔は初めから見に行ったが道場に長時間は結構年寄りにはきつい。天気もいい自転車で朝のうちにご挨拶して来た。署長室でちょっと話。外まで見送ってくれた。自転車愛用者と知っていて、

「自転車の事故が増えていますよ。気をつけてください。小学生以下と70歳以上の高齢者は歩道を走ってもいいんですからね」

年寄りは自転車で歩道を走っていいことを教えてもらった。

ポックリ死はマイペースに生きる人

本棚を整理していると「ポックリ死ぬためのコツ」佐藤琢磨著アスベスト社発行が出てきた。リビングウイルについても触れている。

なるほどと感じたところもあり抜粋してみた。

「死に方」を考えることは「生き方」を考えること。

最期の幸せは「ポックリ死」

「ポックリ死」しやすい性格は一言で言うと「マイペース型人間」

すなわち「心にゆとりを持ち、満たされた人が、ポックリ死しやすい。と解説し、ポックリ死ぬための七か条を上げている。

ポックリ死ぬための七か条

一 長生きするよう心がける

二 古脳を鍛える

三 下半身を鍛える

四 バランスのよい食事を摂る

五 疲労の管理に注意

六 がん検診・健康検診を受ける

七 頑張り過ぎない。

篠が「負けてたまるか」(221ページ)に書いてあるJBK7つの条件

色々の本を見て学習したのだろう同じようなことを書いてある。若干違うので抜粋を添付する。

最期は納得して締めくくりたい。安楽死に辿りつく道は闇の中。決め手はないが気休めに考えた7条件。

1 心身ともに死ぬまで健康であること

2 日々身辺整理に心がけ、今日できることを明日に残さない

3 遺書作成、リビングウイル。万一の場合不必要な延命処置拒否。

4 若干の金用意。三途川も金次第。見舞に来た孫にバス代位やりたい。

5 運命に逆らわない。病も生きている証。無理して生きない。無理して死なない

 身の回りの人、特に連れ合いを大事に。あの世で再会できる「心友」を持つ

7 最期を任せられる医師を探す。

どう足掻いても「パッと咲いて、パッと散る」桜の花の真似はできないが、苦しまず、人に迷惑を掛けない穏やかな死。JBKで締めくくるのは夢。

83歳で幕を閉じた親父は、前の晩好きな酒を飲んで寝て翌日亡くなっていた。

横に寝ていたおふくろも気が付かなかった。

あんなふうに逝きたい。

死に方を考えることは

生き方を考えること

誰もが望む

ポックリ死は

マイペースで生きる人

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コメント

「最後を任せられる医師」これが難しいですね~「家庭医」な~んて言っているけれど、往診には来てくれないし・・私の今のかかりつけの病院は電車でいかなければならないし・・政府の言うように自宅で最後を迎えるのは大変だ~介護保険料も上がるようです。
佐久の方に「ポックリ死ぬ」お地蔵さんがあるようです。探しておきますね!

投稿: 梅 | 2012年1月13日 (金) 16時59分

 まだまだと思っているうちに最期の時は、確実に近付いている。
 ポックリ7箇条もJBK7箇条もチョッピリ耳の痛いものがあります。
 憧れのJBKも、思ってるより大変かも・・・ネ~

投稿: ライス | 2012年1月13日 (金) 19時03分

武道始め式へのお気遣い、お疲れ様でした。
JBKの7条件、私には難しいことばかりで、完成は無理のようです。
生かせて頂いてることに感謝しながら、懸命に毎日を過ごしたいと思っています。

午後、町内防犯パトロール。夕方、近くの内科医院に通院(中性脂肪オーバー、何となしの会話の中で今年中5キロの減量を主治医と約束して、しまった?)。

投稿: 竹 | 2012年1月13日 (金) 20時09分

今日、妻とポックリとあの世へ行きたいと話したばかりです。生前の行いの良い者は、だれにも迷惑をかけずにあの世へ旅立てる。俺がそれに該当すると言ってやりました。それにしても、竹さんの「生かせて頂いていることに感謝しながら・・・」素晴らしいですね。

投稿: 山猿 | 2012年1月13日 (金) 21時00分

風のごとく、あら、って感じで、いなくなりたいですね?自転車は、ほんとに危険なので、気をつけます。

投稿: 藍弥生 | 2012年1月13日 (金) 23時04分

すごくマイペース人間なので、ポックリいくかも〜。
母はとても素晴らしい訪問看護医療の先生に出逢い、幸せでした。
その先生、24時間態勢で患者さんを看て下さり、母を看取って母を最後の患者として、ご自分もお星さまになりました。
そんな先生、今もどこかにいてくれるかな…
(*´`*)

投稿: 撫子 | 2012年1月14日 (土) 01時25分

あずみ野便り(13)1月13日

祖父の亡くなった朝、昭和43年7月28日です。
母が「じいさんが死んだぞ」って血相を変えオレを起こしに来ました。
蚕を飼っていたこともあり、家中てんてこ舞いで、オレは茶原に桑を切りに行きました。桑の葉が朝露に濡れていて、着ていたシャツがびっしょりになったことを覚えています。

祖母はあっけなく逝ってしまった祖父のことを、どう思っていたんでしょうね。あの小さな部屋で布団を並べて寝てましたから。
葬式のことは何も覚えていませんが、突然逝ったあの夏の朝のことは一生忘れられません。

投稿: 広津のハルキ | 2012年1月14日 (土) 03時52分

広津のハルキ君
どんな生き方をしても誰にも、必ずやって来ること。最期はジジやババののように締めくくりたいね。
ジジは前の晩好きな酒を飲んで寝て朝亡くなっていた。(83歳)横に寝ていたババは「長い間好き勝手やってきて最後の最期一言も言わずに逝ってしまうなんて・・・」と悲しがった。
ババは98歳「100歳なんてこれまで生きたこと考えりゃわけないよ」と白寿の祝いを楽しみに元気だった。
寝たきりになったときお風呂に入りたいと言って俺がおぶってお風呂に入れた。大喜びで俺のおっぱいを触ったりして、まるで赤子のようにはしゃいでいた。いくら洗っても垢は次から次に出てきて流しながら洗った。お風呂から出て部屋に帰るとき仏壇に向かって「じいちゃん綺麗にしてもらったよ」って報告していた。それからぐっすり眠ってしまいまさか?と心配したほどだった。あんなに喜んでくれたのは初めてだった。
夏子義姉がよく面倒見てくれて長患いなのに床ずれが全くなかった。
眠るような最期だったらしい。

(この分下書きしたままになっていたようだ。書いている途中でどこかから電話でも来てそのままになってしまったのかもしれない。あるいはダブってどこかに入っているかもしれない。
それとも操作ミスかもしれない。)

投稿: お篠 | 2012年1月15日 (日) 00時01分

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