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2013年1月31日 (木)

PCの反乱

PCの反乱

思わぬ方からの相談があっったりして、

主治医に見捨てられた戦友の最期を綴った記事を再登載した。

若干訂正しようとしたがPCが言うことを聞いてくれない。

戦友が怒っているのかもしれない。

ごめんなさい。

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PCの反乱

PCの反乱

主治医に見放された戦友の壮絶な最期をJBCに搭載したがダブったところを訂正しようとしても修正がきかなくなってしまった。Sさんが怒っているのかもしれない。

仕方がないこのままにすることにした。

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終末期を宣告されても生きる希を捨てず生き抜いた戦友

 

開き直りが一時がんを抑える(壮絶な闘病)

 

働き盛りの人が「末期がん・余命数ヶ月」と宣告されたときどうするか?

 

「末期がん・余命数ヶ月」と宣告され、開き直って職場復帰。2年3ヶ月生き抜いた男の生き様。(死に様)

 

発見時転移・元探偵仲間からの紹介

 

「43歳の現職が{肺がん・すい臓転移、手術不能。抗がん剤・放射線すべて許容量以上の治療をした後、余命は月単位}そんな宣告を受けて病院を飛び出し出勤もせず自宅で悩んでいる。

 

先輩の「負けてたまるか」を読んで感動している。一度本人と会って話を聞いてもらえないか」

 

病人の上司という元探偵仲間から突然の電話だった。

 

腰痛は肺からすい臓へ転移したがんだった

 

一面識もなかったが嫌も応もない。雨の降る日。行き付けの小料理屋で会った。

 

柔道選手というだけあって礼儀正しく、病気の経緯を淡々と要領よく語った。

 

「左腰部に激しい痛みが走ったのが始まりでした。柔道で痛めた古傷が原因と思いマッサージに通いました。

 

それが肺からすい臓へ転移したガンで、手遅れで手術もできない。と言われたときはショックでした。

 

調べると、昭和天皇様もすい臓がんお亡くなりになられた。この病気の怖さを確認しました」

 

有名大学での治療

 

いろいろ調べ、有名なK大学病院に希を掛け入院。10ヶ月間放射線・抗癌剤治療を許容量以上受けたが、髪の毛が抜け変わっただけ、癌は消えなかった。

 

後数ヶ月」の余命宣告

 

「病院ではこれ以上やることはない。後は本人の免疫力が勝負。最悪の場合数か月」

 

治療して治る見込みのなくなった患者は見棄てられる。

 

「家に帰って死を待て」それに等しい、事務的な医師の心ない、冷たい余命告知に逃げ出した。

 

職場復帰を勧める

 

彼は病院を出ても出勤せず家でぶらぶらしていた。

 

柔道で鍛えた体力のせいか、見た目は病人らしいところは見当たらなかった。

 

「家でぶらぶらしていても、癌は休んでくれない。このまま黙ってお迎えを待つより、仕事に戻ったらどうか」

 

と、篠の例をとって話しをするとその気になった。

 

出勤したが自分の机に見知らぬ人が座っていた

 

「先輩から励まされ、思い切って出て行くと、私の机に見知らぬ人が座っていた。私の座るところがなかった。

 

 私の突然の出勤に驚いた職場では急遽机を用意してくれたが、居心地はよくない」

 

Sさんからの電話に驚いた。      

 

「重要なポストだから長く空席にして置く訳にいかなかったのだ」「元気で出勤していくあなたを誰も止めることはできない。居心地が悪くてもそれがガンとの闘いなのだ。俺は声が出ないまま2年も居座り続けた。負けてたまるか。」かつて自分が同じような経験をしたときのことを例に説得した。

 

小さくなった影    

 

 開き直った彼はそのまま職場に居座り続けた。

 

患者会にも誘い話し相手になっていた。

 

驚くことに、余命数か月と告知した医師が驚くほど影が縮小し元気に勤め続けた。

 

暮れの31日の夜「田舎で造ったそばです」と奥さんと一緒に届けてくれた。そのほか盆・暮や旅行先の土産物を家まで届けてくれたりしていた。何時も奥さんと一緒だった。

 

眠った振りをしていた影

 

彼の開き直りにがんも驚いて退散したのかと思った。

 

病は眠った振りをしていただけ、徐々に彼の体内で勢力を伸ばしていた。

 

復帰二年目、再び骨盤に再々発した。

 

職場近くの病院に転院し保険の効かない免疫療法を受けた。

 

高額治療も効果はなかった。

 

職場復帰して二年三か月目、千の風になった。

 

享年四十六歳。働き盛りだった。

 

気丈だった奥さん

 

告別式のとき、奥さんになんと声を掛けようかと迷っていた。

 

奥さんの方から声を掛けてくれた。

 

「数か月と言われた命を、希望を持って二年三か月生き延び、私たちには掛け替えのない日々でした。

 

旅行や田舎の人達との対話など、これまでには味わえない、よい思い出もいっぱいできました。欲を言えば切りがありません。

 

納得して逝きました。有難うございました」 

 

慰めようとした奥さんから逆に慰められた。

 

もう一度勤務につきたい

 

奥さんは「納得して逝きました」と私を慰めてくれたが

 

寝たきりになった彼を見舞ったとき、「もう一度制服を着て勤務につきたい」「負けてたまるか」を手にし涙ながらに訴えた彼の姿は今も忘れられない。

 

ご冥福を祈るのみ。

 

あと三年と余命宣告され13回も入退院を繰り返した過程でガンと闘う何人もの戦友との出会いがあった。

戦友が教えてくれた教訓を伝え・残すのは残された者の務めではないかと思うようになった。

これは前に記事にしたことがあるが、頼りにしていった病院で「これ以上の治療はない」と宣告された患者の気持ち、どんなだったか推し量れない。ここにもう一度当時の状況を搭載しご冥福を祈るすることにした。

PCの奥に眠っているその人たちの声の一部分でも触れることができればと思う。

開き直りが一時がんを抑える(壮絶な闘病)

働き盛りの人が「末期がん・余命数ヶ月」と宣告されたときどうするか?

「末期がん・余命数ヶ月」と宣告され、開き直って職場復帰。2年3ヶ月生き抜いた男の生き様。(死に様)

発見時転移・元探偵仲間からの紹介

「43歳の現職が{肺がん・すい臓転移、手術不能。抗がん剤・放射線すべて許容量以上の治療をした後、余命は月単位}そんな宣告を受けて病院を飛び出し出勤もせず自宅で悩んでいる。

先輩の「負けてたまるか」を読んで感動している。一度本人と会って話を聞いてもらえないか」

病人の上司という元探偵仲間から突然の電話だった。

腰痛は肺からすい臓へ転移したがんだった

一面識もなかったが嫌も応もない。雨の降る日。行き付けの小料理屋で会った。

柔道選手というだけあって礼儀正しく、病気の経緯を淡々と要領よく語った。

「左腰部に激しい痛みが走ったのが始まりでした。柔道で痛めた古傷が原因と思いマッサージに通いました。

それが肺からすい臓へ転移したガンで、手遅れで手術もできない。と言われたときはショックでした。

調べると、昭和天皇様もすい臓がんお亡くなりになられた。この病気の怖さを確認しました」

有名大学での治療

いろいろ調べ、有名なK大学病院に希を掛け入院。10ヶ月間放射線・抗癌剤治療を許容量以上受けたが、髪の毛が抜け変わっただけ、癌は消えなかった。

後数ヶ月」の余命宣告

「病院ではこれ以上やることはない。後は本人の免疫力が勝負。最悪の場合数か月」

治療して治る見込みのなくなった患者は診棄てられる。

「家に帰って死を待て」それに等しい、事務的な医師の心ない、冷たい余命告知に逃げ出した。

職場復帰を勧める

彼は病院を出ても出勤せず家でぶらぶらしていた。

柔道で鍛えた体力のせいか、見た目は病人らしいところは見当たらなかった。

「家でぶらぶらしていても、癌は休んでくれない。このまま黙ってお迎えを待つより、仕事に戻ったらどうか」

と、篠の例をとって話しをするとその気になった。

出勤したが自分の机に見知らぬ人が座っていた

「先輩から励まされ、思い切って出て行くと、私の机に見知らぬ人が座っていた。私の座るところがなかった。

 私の突然の出勤に驚いた職場では急遽机を用意してくれたが、居心地はよくない」

Sさんからの電話に驚いた。      

「重要なポストだから長く空席にして置く訳にいかなかったのだ」「元気で出勤していくあなたを誰も止めることはできない。居心地が悪くてもそれがガンとの闘いなのだ。俺は声が出ないまま2年も居座り続けた。負けてたまるか。」かつて自分が同じような経験をしたときのことを例に説得した。

小さくなった影    

 開き直った彼はそのまま職場に居座り続けた。

患者会にも誘い話し相手になっていた。

驚くことに、余命数か月と告知した医師が驚くほど影が縮小し元気に勤め続けた。

暮れの31日の夜「田舎で造ったそばです」と奥さんと一緒に届けてくれた。そのほか盆・暮や旅行先の土産物を家まで届けてくれたりしていた。何時も奥さんと一緒だった。

眠った振りをしていた影

彼の開き直りにがんも驚いて退散したのかと思った。

病は眠った振りをしていただけ、徐々に彼の体内で勢力を伸ばしていた。

復帰二年目、再び骨盤に再々発した。

職場近くの病院に転院し保険の効かない免疫療法を受けた。

高額治療も効果はなかった。

職場復帰して二年三か月目、千の風になった。

享年四十六歳。働き盛りだった。

気丈だった奥さん

告別式のとき、奥さんになんと声を掛けようかと迷っていた。

奥さんの方から声を掛けてくれた。

「数か月と言われた命を、希望を持って二年三か月生き延び、私たちには掛け替えのない日々でした。

旅行や田舎の人達との対話など、これまでには味わえない、よい思い出もいっぱいできました。欲を言えば切りがありません。

納得して逝きました。有難うございました」 

慰めようとした奥さんから逆に慰められた。

もう一度勤務につきたい

奥さんは「納得して逝きました」と私を慰めてくれたが

寝たきりになった彼をGセンターに見舞ったとき、

「もう一度制服を着て勤務につきたい」「負けてたまるか」を手にし涙ながらに訴えた彼の姿は今も忘れられない。

ご冥福を祈るのみ。

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2013年1月30日 (水)

雪割草フェア

雪割草フェア
雪割草フェア開催。
サカタのタネガーデンセンター横浜市神奈川区桐畑二番地045-321-3744
二月一日から3日
主催工房ほんま

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Gセンター診察

Gセンター

Gセンター診察日。自転車で7時40分には出かけたが待合室の椅子はほぼ満杯。混雑は相変わらず。

M主治医は3月で定年退職らしい。

可愛い二人の孫の写真を見せてくれた。「おじいちゃんに似なくてよかったね」と言うと笑ってうなずいていた。

人混みの中でOさんご夫妻、O和尚さん、に合う。

見舞い

入院中の散歩仲間のOさんを見舞う。

しょくどうが詰まって水も嚥下できないということで点滴中だった。

話を聞くと難しい状況のようだが、彼はいつもの病と闘う姿勢は健在で元気そのもの。彼には負けるという言葉はない。

頑張って勝ち抜いてほしい。

治療費・(注射・くすり)

Sナースに高い注射を打ってもらう。

注射・薬など一割負担で占めて15、340円なり。

生きているからいいじゃないかというが、年金生活者としては痛い出費。

挙句の果て、いつもの副作用か頭痛。

雪割草

窓辺に持ち込んだ雪割草が2輪可愛い花を咲かせて微笑んでいる。

一番の慰め。部屋の中に入れても、日没と同時に花を閉じてしまう。自分の身は自分で守る姿勢には感心。花と話しているときが一番落ち着く。

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2013年1月29日 (火)

フラワーセンター・すし勝

フラワーセンター

「春先の花を見に行こうよ」とハム子に誘われ大船のフラワーセンターへ。

車で約一時間。

時期が時期だけにあまり欲しいものはなかった。

買うまいと思っていたが、珍しいものについ手が出てしまう。

せっかくだからと雪割草の新種を5鉢ゲット。

すし勝

昼食は行きつけの「すし勝」。店長夫婦が極上寿司を握ってくれた。

おいしい。とハム子も気に入ったようだ。

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2013年1月28日 (月)

在宅死・終末期のあり方

 

在宅死・終末期のあり方

古いPCを呼び出して読んでいると懐かしい方々が次々出てきてそのままおさめてしまうことができなくなった。

Tさん

Tさんはガンと闘い励ましてくれた戦友。末期がんを宣告され。在宅死を全うした意志の強い方だった。

今年頂いたご主人の年賀状に「去年七回忌を済ませました」と添え書きがあった。

最近在宅死など終末期に関連する質問を受けることがある。

人によって答え方は変わってしまう。

在宅死を意のままに実行した何人かの方に里帰りしていただくことにした。

個人情報などで書けないこともある。詳しく知りたい方はお電話でもください。

この前緊急入院した時ベッドでかいたものを参考にした。

 

在宅死を選んだTさん

病院で9時消灯で夜は長い。消灯を待っていたかのように始まるうめき声。睡眠導入剤を飲んでも眠るどころではない。

瞑想の中に浮かんだ千の風になった先輩たちのことを整理してみた。

Tさんは「負けてたまるか」が連れてきた仲間。

在宅死を選び実行した人。

Tさんには色々励まされ、学んだ。

篠の闘病記には欠かせない方。

在宅死を望む人は多い。

ピンコロリと逝けば問題ないが、寝たきりになって自宅で過ごすのは、一週間から10日くらいが限度、それ以上になると家族にかかる負担が多すぎる。在宅で最期を迎えるということは大変なこと。

健康な家族(複数の)の協力なくしてできるものではない。そんなことをTさんから学び、今回の入院で特に再認識した。

「負けてたまるか」のファン

「負けてたまるか」が出版された時各マスコミが大きく取り上げてくれた。

Tさんは多発性骨髄ガンと診断された時「負けてたまるか」を読んでくれ、私が地区センターで区の生涯学習の会で講演をしたとき、梅ちゃんと一緒に聞きに来てくれた。

それが切っ掛けで知り合った。まさに「戦友」である。元気なうちはがん患者の会「コスモス」や「虹の会」にも顔を出していた。

講演の際習い始めの篠笛を吹いたが曲にならなかった。

彼女は「片肺で声の代わりに笛を吹こうという発想・精神がいい。その内吹けるようになりますよ」と励ましてくれた。

その後も何度かお会いする機会があった。

八幡様の寒牡丹

鎌倉の八幡様の寒牡丹を見ようと誘って梅ちゃんと3人で鎌倉に行った。

ところがその年に限ってやっていなかった。

境内を散策した後、池のほとりの茶店でお茶を飲んだ。

そのとき何曲か篠笛を吹いた。Tさんは目頭を押さえて聞いてくれた。

在宅死

Tさんは意志の強い人だった。病院で最期は迎えない「負けてたまるか」と、在宅死を選ばれた。最期まで自分の思いを貫き通した。

在宅ホスピス」と簡単に口にするが、病む本人も、それより家族の心労はまた別のもの。言葉で言い尽くせない。深い愛情・真心・絆で結ばれていなければできない。

ご主人が出来た方で、部屋の全てを病人用に改良するなどあらゆるものを犠牲にしてTさんの願いを叶えてやった。なかなかできることではない。

絵手紙

彼女は絵手紙を勉強していて時々素敵な絵手紙をくれた。

彼女が寝たきりになって梅ちゃんと見舞ったときも、帰るとき「絵手紙待っているよ」と声を掛けると頷いていた。それが最期だった。

増富温泉

Tさんはラジューム含有量日本一とか言われる山梨の増富温泉にもよく足を運んでいた。

増富温泉はKちゃん、Mさんも常連だった。

篠も一時月一回3泊4日くらいの予定で通ったが、3人が相次いで千の風になってしまったのとバアチャンが体調を崩して、ここのところ行っていない。

体調が戻れば冷泉治療にも挑戦して見ようを思っている。

温泉の近くを流れる河原に流木で譜面台も作ってある。

葬式の段取りも自分で

彼女は葬式・墓石など最期のことまですべて自分で段取りを決めて家族に言い残していた。

在宅死を望む人は多い。

だが、最期を自宅で迎えるということは大変なこと。健康な家族(複数の)の協力なくしてできるものではない。彼女からそれを学んび、今度の入院で再確認した。

一周忌

Tさんの一周忌に梅ちゃんと参列した。東急東横線K院。境内のあちこちに銀杏の実が落ちていた。

お腹を膨らませたカマキリが一匹墓石の日溜りで何処に行こうか思案していたのがなんとも印象的。

「命日は15日だが3日は結婚記念日なので和尚さんに頼んでこの日を選んだ」というご主人の挨拶で始まった。

参列者は仕事仲間のUちゃん、Tさん、Aさん、それに教え子などと親戚で、篠は異色の存在。祭壇に飾られていた遺影は普段の笑顔のTさんで今にも話しかけてくるようだった。

Tさんが可愛がっていた孫のHチャン(当時4歳)お葬式の時はむずかっていたがすっかり成長していた。Tさんが入院中見舞いに行ったのを覚えていた。

「一番好きなのは?」と問いかけると「一番好きなのはYおばあちゃんよ」と迷わず答えてくれた。この一言を是非、千の風に載せてTさんに聞かせたいと思った。

墓参り

梅チャンとお墓参りに行ったこともあったが最近はご無沙汰のまま。

時をみてKちゃん、Tさんのお墓参りに是非行きたいと思っている。

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2013年1月27日 (日)

ハマ風48号

ハマ風48号

ハマ風48号が送付されてきた。

コメント衆の入選者。

巻頭三首に山猿さんの歌。田中きみ先生選に藍ちゃん。岡本先生選に山猿さんこと金川孝己さん。(山猿さんはダブル受賞)

 

山猿さん・藍ちゃんおめでとう。

 

岡本まさ子選・巻頭三首山猿さんこと金川孝己作

「思い出」通りは

何度か歩いた

「思い通り」という

道には

なかなか出合えない

 

結構思い通り」歩いているように見えるんだがね。気配りし過ぎて気付いていないのかもよね。ゆっくり歩こうよ。篠

田中きみ選藍ちゃんこと藍弥生作

人間って

おもいでで

できあがって

いるんだって

知ってた?

 

知ってたよ。今思いで作り盛ん・篠

 

横浜水曜歌会入選山猿さんこと金川孝己作

年を取れば丸くなる

嘘だ

あの頑固さを

IPS細胞で

何とかしてよ

 

選者・作者は「何とかしたい頑固者」はお父さんだとコメントしているが?篠は別人だと思っている。もしかして・・・・・

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2013年1月26日 (土)

雪割草開花

雪割草
雪割草の蕾が大きく成長を続けている
花に早く会いたくなって、最も成長のいい鉢を一鉢を二階のベランダに移して夜は部屋の中に取り込んだ。
今朝見ると可愛い純白の花を咲かせてくれた。
早春を彩る雪割草に刺激されて他の花も動き出したようだ。
春はもうすぐそこ。

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2013年1月25日 (金)

カキクケコ人生訓(終末期のあり方)

カキクケコ人生訓

PCの動きが遅くなって「一杯です。不要なもの古いものは整理しましょう」と警告があって少し整理し始めた。

整理どころじゃない大事な宝庫だった。

その中から選出した一つ藍ちゃんから送信されたカキクケコ人生訓とそれに寄せられた皆さんのコメントなかなか参考になる。

聖路加にお見舞いに伺ったとき篠もこの人生訓を直接伺った。

皆さんのコメントは一度公開されたものなので了解なしで添付させていただきます・

少し長いがコピーを添付します。参考にして長生きしてください。

カキクケコ「人生訓」

父から、長い手紙をもらいました。家族みんなにあてたものです。そのなかにあった、1枚です。

カ・・・感謝でくらす

キ・・・気力で頑張る

ク・・・苦労に負けない

ケ・・・健康は宝だ

コ・・・恋をしなさい   

ね、いいでしょう!ラストでほわっと決めてるとこが、にくいよねー。恋をすると、ちょっぴり背伸びして、すこーし優しくなって、相手の身になって、こころがしっとりするもんね

 

コメント

苦しまず家族に迷惑をかけずに千の風になりたくて、「尊厳死の宣言書」を持ち歩いています。

投稿: 山猿 | 2012129 () 1810

管に繋がれてまで生きたくないですね。
きちんと、家族に伝えておかないと医師も困りますね。母親の死に直面したとき兄は延命を医師に願ったが姉が止めたそうです。女性の方がクールに対応するのかな~等考えました?

投稿: 梅 | 2012129 () 1821

様々の実体験者、篠さんからの終末期医療の在り方、重過ぎて心がうつろになります。が、誰もが考えなければならない大切なことですね。

午後、町内吟詠教室。いつまで続くこの寒さ。

投稿: 竹 | 2012129 () 1952

胃ろう処置をして ただ 生きているだけは 辛すぎると考えています。

元気なうちに 伝えるべきことは伝えておかないといけませんね・・・

投稿: ふくろう | 2012129 () 2046

胃ろう処置をして ただ 生きているだけは 辛すぎると考えています。

元気なうちに 伝えるべきことは伝えておかないといけませんね・・・

投稿: ふくろう | 2012129 () 2046

聖路加の緩和ケアは、入る時点で、管は付けない約束をします。みんなで署名しました。それでよかったなあと、それが良かったなあと、おもっています。亡くなるときは、脳からエンドルフィンというモルヒネに似た物質が出て、けいれんや呼吸が不規則になっても苦しかったり痛かったりすることは、ないことが多いお話もしてくれました。このことは動物にも同じなので、亡くなる経過をあらかじめお伝えしておくと、みんな「先生の言った通りの順番だったから、落ち着いて最高の看取りができて良かった」と言ってくださいます。

がんセンターと聖路加の日々は、教わることが多くて、父が私にだまって残してくれた財産の一つです。

投稿: 藍弥生 | 2012130 () 0009

父への延命措置は、先生のお話をよく伺った上で、しないことを選択し意識のあるまま、亡くなる数時間前まで話をしながら亡くなりました。
母は在宅で鼻腔栄養を選択しましたが、こちらは状態が良くなれば外すことを目標にしてのこと。
何度か外すことも出来ました。そんな事を繰り返しながら、それ以外の延命措置は行わず、最後のその日まで私を目で追いながら眠るように逝きました。
二人立て続け、そしてダブル看病、介護でしたが、私が倒れないように、先にダウンしてしまうことがないようにのみ、細心の注意を払いましたが、やはり十何年も続けば息切れもします。
母を看て下さった先生から、家族がダメになる前に不思議と患者さんが旅立つ、との話を聞いていました。
延命措置をお断りし、両親が自らの炎を自然と落としていくのを娘として見届けられたことは、幸せだったと今でも思っています。

投稿: 撫子 | 2012130 () 0016

あずみ野便り その29129日)

今日のJBKで「延命」を考えるきっかけを与えてもらいましたが難しいテーマですね。「延命処置」の言葉の意味はわかりますが、身近での経験がないので自分の言葉でコメントが書けません。

カナコは妊娠中に胎盤剥離になり次男は帝王切開でした。1400グラムの超未熟児でとり出され直ぐに保育器に入れました。何本ものチューブにつながれ生命維持に必要な最小エネルギーで、2ヶ月間は「生きれる保証」をしてもらいました。体重が1グラムでも増えていると嬉しかったことを思い出しました。
彼はこの春二十歳になります。身長180、体重73、立派に成長出来たのは、保育器が命をつないでくれたおかげと思っています。テーマとは外れたコメントですみません。
 

投稿: 広津のハルキ | 2012130 () 0617

病院と家族が、より丁寧に話し合いができる為の改定文書になったのだろうと思います。
病院の方向性や、受け入れ制限の基準として、「胃ろう」の境界線の気配を感じていました。
その時の状況は様々であり、どれも一生。
即決即断を迫られる状況の中で、本人ではなく、対応する家族の心のとりまとめが必要なケースが多いことを感じます。
迷いの中の選択肢を、医者がどんな風に提供できるのか、医師個人の素養に任せていた部分を、医学界全体で、猶予ある選択の方向性を後ろ盾に示す必要が現実にあるのだろうと読みました。
「こうしてほしい」という本人の文書が一番に受け取られるので、それを記している皆さんは、意見を尊重されると思います。
メソメソ泣き虫の娘を知っている私の両親は、結局私の心が落ち着くまでの時間を、娘の判断に託してくれた逝き方でした。
両親の生き方の選択として感謝しています。
もし・・・
万一・・・
そんなことが起こっても
許してあげてねぇ~
(^-^)お願い♪

投稿: 夏海 | 2012130 () 1043

夏海ちゃん

貴重なコメントありがとう。今度またゆっくり聞かせてね。

この話は実体験者の夏海ちゃんにしてもらうべきだったね。

お母さんはありがとうと言って千の風になられた。

夏海ちゃんの咄嗟のジョーク・突っ込みそして素敵な笑顔に叶うものは何もないよ。

これからもよろしくね。

山猿さん

俺も「尊厳死の宣言書」を常時携行している。デモさ、一つの気休めかもね。

もしも山猿さんと一緒の時そんな事態になったらポケットに入っているからお願いしますね。

梅ちゃん

誰しも望むのはJBKなんだけど。思いはあっても実現は至難のようだね。

梅ちゃんの友人のTさん在宅死を選んだが、ご主人・家族に恵まれていたからできたことだよね。

もう人事ではなくなってきた。

先日照会した石川啄木の「・・・・よせよせ問答」の歌を思い出す。

竹さん

いずれ誰にも平等にやってくる最期の締め方はなかなか簡単ではなそうですね。どうしましょうかね。

ふくろうさん

誰しもが考えることはおんなじですね。ども、実際は様々なようですね。用意だけはしておきたいものと考えております。

藍チャン

死を前いじっと見据えて命を全うした藍チャンのお父さんの真似はなかなかできない。

聖路加の緩和病棟のベッドの上で書かれた藍チャンたちに宛てた手紙の中で人生に必要な「カキクケコ人生訓」をしっかりした字で書き残してあった。

お見舞いに伺ったとき不躾にも人生訓の「コ」の恋をしなさい。に付いて「お父さんは・・・」と尋ねたところ否定も肯定もせず苦笑いでごまかした少年のような微笑は今でも忘れられない。

家族はみんな元気で仲良くやっている。何も心残りはない。自分がいなくなっても何も心配はない。悟りの域の人だった。あんなふうに店仕舞いができたらいいね。

撫子さん

切ない・悲しいこと思い出させてしまってゴメンね。

お父さんもお母さんも撫子さんの心の看病に感謝し満足して旅に出ていかれたんだ。

撫子さんも元気になったしご両親の分まで楽しく長生きしようね。

思い出したとき、切ないとき、悲しいことが合ったとき笛を吹いてあげようね。

みんなが一緒。一人じゃないよ。

ハルキ君

できることなら触れたくないこと。でも誰でもいつかは対峙しなければならない問題。

突き詰めていくと生と死は生まれたものには絶対切り離すことのできない問題。

最期はジジの様に逝ければ最高。

池上正太郎が何かの本で言っていた。「死を考えて生きるのは「薬味」のようなもの一味変わる。」言い回しや表現は違うかもしれない。こんな風なことを言っていてなるほどと思ったことがある。

俺もこの前緊急入院した時は10本近い管につながれた。

入院する前救急車の中で酸素をとり付けられた。

ベッドはナースステーションの一番近くで、ベッドに移されると同時に心臓の動きを計る器械があっという間に付けられナースステーションに動きが常時見られるようにセットされた。つぎは肺に穴を開けてそこから肺にチューブを差し込み固定して肺の中に溜まっていた血液を24時間抜き取るようにされた。そうされてしまうとトイレ、食事すべて寝たままでなければできない。

あの時「延命処置はいらない」なんていえないし考えてもいなかった。

もし「管」を拒否していれば今日の俺は存在していないことは間違いない。

あの時は俺も家族も死を考えた。

誰と誰に連絡するか葬式の準備をしたらしい。

こんな状態は「腎臓内血管破裂」のときも同じようだった。

こんな修羅場を幾度となくくぐって三途の川の途中から帰って、生きているわけよ。簡単には死ねない。死なない。

生きているだけで意味があると言うわけ。

1,29

高齢者・終末期医療の原則、胃ろう中止も選択肢に 学会が改定

(23,1,29朝日新聞)

23,1,29朝日新聞に高齢者終末期の医療について注目すべき記事が搭載いされていた。

いたずらな延命治療は拒否する旨のリビングウイルは常時携帯しているが。最期は自分で考え決めることだとはいえ色々難しそうだ。

肺がん手術の後言語障害・誤嚥など副作用に襲われ何本ものチューブにつながれ、勧められた「気管切開」を断った。それが今日に繋がっていると思うと複雑だ。

 

「高齢者の終末期医療とケアについて、日本老年医学会は28日、胃に管で栄養を送る胃ろうなどの人工栄養や人工呼吸器の装着は慎重に検討し、差し控えや中止も選択肢として考慮するとの「立場表明」をまとめた。最新、高度な医療をすべて注ぎこむことは必ずしも最善の選択ではないと判断した。表明の改定は11年ぶり。

 終末期医療の手続きなどを定めた法的ルールはない。この立場表明にも拘束力はないが、高齢者医療に携わる医師が治療方針を考える際の基本原則とするもの。具体的な手順などを定めたガイドライン(指針)を作る際のもとになる。

 まず、高齢者の終末期における「最善の医療およびケア」を「必ずしも最新もしくは高度の医療やケアの技術すべてを注ぎこむことを意味するものではない」と明記。高齢者の心身の特性に配慮し「残された期間の生活の質(QOL)を大切にするものだ」との考えを示した。

 その上で、高齢者が最善の医療およびケアを受ける権利の一環として「(おなかに穴を開け、管を通して水分や栄養剤を胃に送る)胃ろう造設を含む経管栄養や気管切開、人工呼吸器装着などの適用は慎重に検討されるべきだ」と指摘した。具体的には「本人の尊厳を損ねたり、苦痛が増えたりする可能性があるときは、差し控えや撤退を考慮する必要がある」と記した。」

 

旦取り付けてしまった

延命処置を

取り外すことは

勇気・決断・みんなの同意・・・

迷惑を掛けず・苦しまず・JBKはユメ・幻か?

 

苦しんで

金掛けて

迷惑掛けて

延命だけの医療は

ゴメンだね

 

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2013年1月24日 (木)

篠笛教室
篠笛教室個人レッスン。
赤とんぼ、月の砂漠などを中心に教えて頂く。
眼科
最近眼がショボショボする。
行きつけの眼科で診察。
1眼圧13の16。
疲れた。

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2013年1月23日 (水)

PC通院

ipad通院

寝不足が祟ったらしい。眩暈・ふらつきが気になったが。

PCの調子がどうもおかしい.いつもみてもらっている電気店に駆け付けた。

余計なところに触りすぎたのがいけなかったらしい。

難しい。

「三冊目」の原稿も気になるが取り敢えずJBKの書き込みができればいいことにした。

時間は情け容赦なく刻刻と刻まれている。持ち時間は無くなっていく。

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2013年1月22日 (火)

雪割草

雪割り草

雪を冠りながら雪割草が蕾を膨らませている。

早いものは微かに色も覗かせている。

先日降った雪がまだ残っていて、また雪が降るらしい。

そんなことをお構いなしに蕾を成長し続ける花の生命力に脱帽。

あやかりたいもの。

この花を戦友こころちゃんがこよなく好きだった。花とともに訪ねてきてくれそう。

春が待ち遠しい。楽しみ。

雪を

着ながら

蕾膨らませ

春告げる

雪割草

戦友の

面影

偲ばせて

咲く

雪割り草

 

雪割草。花言葉は、「はにかみや」。雪国に春を告げる、小さく可憐な妖精花・雪割草が見ごろ

  長く厳しい冬を耐え抜いて可憐な顔をのぞかせる「雪割草」。

 その花言葉は、「はにかみや」。小さく可憐な花ながら、色は鮮やかで、花弁の形や咲き方も様々となり、まさに日本の雪国の早春を告げる妖精のような花。キンポウゲ科ミスミソウ属(Hepatica)の園芸名として知られ、日本にも数種が自生。丈夫であるため鉢植えなどでも楽しめ、ガーデニング愛好家にも人気があります。また、庭木としてだけでなく、色とりどりの群生の美しさも格別。早春、木立の中で愛らしい花々が咲き乱れ、お互いを引き立てながら調和しあう美しさは、出会った人々にすばらしい思い出を与えてくれることでしょう。

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2013年1月21日 (月)

がん予防生活習慣五箇条

がん予防生活習慣五箇条

 

寒いので庭作業は諦めて昔のパソコンを開いてみた。その中に歌会に提出した「がん予防生活習慣五箇条」を五行歌にしたものが目についた。なるほどと思いコピーを添付してみた。

皆さん参考にして長生きしてください。

 

篠笛作

がん予防生活習慣五箇条

禁煙、節酒、減塩、運動、体重維持

言うは簡単 実践困難

ハードル高い 

長生き峠  

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2013年1月20日 (日)

腰痛対策

AERAに腰痛に関する記事が載っていた。AERAを読まない人のために参考まで添付送信。

腰痛の一因にストレス 日記や挨拶で対策を〈AERA〉

dot. 119()73分配信

 最近では年代を問わず悩まされる人が多い腰痛。その一因として、労働者健康福祉機構の整形外科医の松平浩(こう)さんはストレスを挙げる。
 松平さんはこれまでに、働く世代を中心に腰痛に関連する研究を続けてきた。アンケート調査などをもとに分析した結果、腰痛は心理社会的要因で引き起こされる場合もあることがわかったという。
 例えば、強いストレスにさらされると、心のバランスを保つ脳内物質であるセロトニンやドーパミンが出づらくなる。その結果、心臓がドキドキしたり下痢をしたりと自律神経の影響を受ける症状が出る場合がある。松平さんは、これと同じ仕組みで腰痛や肩こりが起こることも考えられるという。
 腰痛の原因はストレスのほかにも、それと並列して腰自体に負担がかかる機能障害が考えられるという。松平さんは約3800人のデータをもとに解析した結果、(1)介護を含む重量物(20キロ以上)の取り扱いに従事したり、(2)前屈やねじり動作を頻繁に行うことに加えて、(3)仕事に対する満足度が低かったり、(4)上司のサポート不足や、(5)めまいや頭痛、肩こり、胃腸の不調などがあることが、腰痛が慢性化する危険因子であることがわかった。
 松平さんは、猫背の姿勢が強くなった場合は体を後ろに反らし、後ろに反り気味の時間が増えたら前かがみになる軽い運動を推奨している。くしゃみや咳をする際も壁や机に片手をついて腰への衝撃を和らげることが必要だ。
 そして、脳の機能障害を防ぐ必要がある。ドーパミンなどの分泌を促し、仕事に集中するため「よし、やるぞ」と一声かける。また、脳の機能を活性化させるには、音楽鑑賞やウォーキングなどがお勧めだそうだ。仕事中は挨拶や感謝の言葉をあえて口に出してみるなど、折り目をつけた人間関係を意識的につくることも大事だという。さらに松平さんが提唱するのは日記をつけることだ。

「上司に怒られたら腰が痛くなった」など、その日の出来事やその際の体調をつけておくと、後になってどういうときにストレスと連動して体調が悪くなるかがわかり、解決策も見つけやすいという。

AERA 2013121日号より

篠も一時腰痛に悩まされたが独特の腰痛体操をするようになって治まった。

希望者には個人指導します。

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町内会新年会・年寄りの長生きの秘訣3原則

町内会新年会

町内の新年会。寒いから欠席しようと思っていたが笛を吹いてくれと依頼があって腰を上げた。

参加者30名。最高年齢者は91歳、篠は3番目。

3曲。

みんな年に似合わないお得意の唄を気持ちよく披露。

笛の前のスピーチで長生きの秘訣は「嫌な奴とは付き合わないこと」「年寄りの長生きの秘訣3原則」をしゃべった。

 

年寄りの長生きの秘訣3原則。

山猿さんから教えていただいたものの受け売り。

「風邪引くな

転ぶな

義理をかけ」

笛より受けたようだった。

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2013年1月19日 (土)

お見舞い・道路の凍結

お見舞い

GセンターにO氏を見舞う。

抗がん剤投与2クール目で誤飲・吐き気など副作用に悩まされている様子。

頑張り屋の彼は点滴棒を杖代わりにして院内を散歩していた。あの根性がガン太郎をやっつけているのだろう。

一日も早い回復を祈念。

道路の凍結

Gセンターに行く途中車を避けようとして、道路に残っていた雪が凍結していたところに乗り上げ危うく転倒するところだった。危ない危ない。

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パソコンの反乱・イチゴの差し入れ

パソコンの反乱

どういうわけかPCが固まって動かなくなってしまった。

一旦固まってしまうとどこをどう触っても叩いても動こうとしない。

原因はわかっている。昨日ちょっといつもは触らないところに触れてしまったからだと思う。

不思議

なんとなくあちこち触っているうちに動き出した。

PCを新しくして馴れない機能に触ったのがご機嫌を壊した原因だったようだ。

まだまだ完全に意思の疎通ができたわけではない。闘い・挑戦は始まったばかり。相手にとって不足はない。

お世辞・ごまかしなど一切聞いてくれない・オンナより難しい。

イチゴの差し入れ

ハム子が「行きつけの八百屋さん路面凍結でお客さんが少なくて余ってしまって安売りしていた」からと大きなイチゴをたくさん持ってきてくれた。

赤ん坊の握りこぶし大の大きさ、甘みは淡白だが新鮮さが何より。

ブロッコリー

野菜が高騰しているらしい。雪が残っている畑の様子を見に出てみるとブロッコリーがかなり大きくなっていた。早速二個収穫。珍しくバーちゃんが喜んでくれた。

 

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2013年1月18日 (金)

あかり会
従兄弟の由子さんのおさそいであかり会の新年会を桜木町のホテルで開催。由子さんお仲間四名。山猿さんを誘って出席。
皆さん文章歴が長く素敵な文章を書かれておられる。
自己紹介でそれぞれの人生を披露して下さり感動。
新しい仲間がまた増えて嬉しい限り。
連日のお出かけで少々疲れ気味。
拾い物
いく途中財布拾った。身分証明書が入っていたので直接落とし主に連絡し帰り二俣川で待ち合わせて渡してやった。
現金身分証明書キャッシュカードが入っていて喜んでくれた。謝礼をくれそうだったお断り。何かいい気分。
いいことがあるかもしれない。

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2013年1月17日 (木)

篠笛新年会

篠笛を楽しみま専科

鶴ヶ峰・シミドウ合同の新年会。

大船の寿司勝。

参加者S先生、添ちゃん、測天去私さん、つくののおさるさん、藍ちゃん夫婦、明日香ちゃん、山猿さん、ガッツさん、ライスさん、ナンコーさん、篠笛。

店長が特別仕入れてくれただけあっておいしかった。

ガッツさんの特技にはみんなが腹を抱えてた。

添ちゃん素敵な和服での参加ご苦労様でした。伸ちゃんによろしくね。失礼言ってごめんね。次回も懲りずに参加してね。

それぞれの発表の後、

s先生の青葉の笛・月の砂漠、白月・アメージング・グレースなどの演奏にみんなが聞き惚れた。

一曲でいいからあんな素敵な音色を出したいもの。とみんなが思った。

でも楽しい・おいしい素敵な新年会だった。

皆さんご苦労様でした。

土さんご厚志ありがとうございました。末さんも元気だったら参加していたのにね。

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2013年1月16日 (水)

体が軋む・散髪

体が軋む

ベッドから起きようとしたが身体があちこち軋む。

昨日の雪かきがたたったらしい。

年寄りは無理がきかないということ。

散髪

髪の毛が伸びて耳まで垂れ下がって不愉快。

明日今年始めて皆さんと初デイト。

最近は駅構内の1000円理髪で済ませているが道路が凍結しているため、近くの行きつけの理髪店で散髪。60年の年季という店主が丁寧にやってくれた。3,300円だけのことはある・さっぱりした。

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2013年1月15日 (火)

凍結(雪かき)

凍結(雪かき)

朝早くから前の家のご主人が雪かきを始めた。

シャベルがコンクリートをこする音が気になって寝てはいられない。

昨日和ちゃんが階段と車庫前の雪かきをしてくれたが、昨晩の冷え込みで路面が凍結してしまって道路を通る人か困難をしている。家の前の道路は通学路になっている。

スコップもって自分の家の領分の雪かき。前と後ろと広いので大変。

午前中かかって車が通れるだけの路面を確保した。

久しぶりの重労働。午後はゆっくり昼寝。

雪は後始末が大変。

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2013年1月14日 (月)

雪かき

寒いはずだ、朝から降り出した雪が積もり始め一面真っ白。やむ気配がない。

和ちゃん昨晩から車でどこかに行って一泊してまだ帰ってこない。雪道は初めて、帰りが心配。

和ちゃん無事帰宅

車を返しに来た和ちゃん階段と車庫前の雪かきをしてくれた。

道路が凍結する前に早く雨に変わってほしい。

救急車がサイレンを鳴らしてよちよち走って行った。

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大雪

和ちゃん

雪の中チエンを買って車を返しにいた和ちゃんがPCを見てすぐ治療してくれた。

この大雪で彼もバイクを諦めて歩いて帰っていった。

出掛ける予定がなくてよかった。

今晩は餅を入れて煮込みうどんらしい。

チエンなく走れなくなった車が家の周りに何台題も放置されている。

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大雪

朝から降り出した雪はやむ気配はいなく、積もりだした。

昨晩から車で出かけた和ちゃん途中で立ち往生してしまったらしい。

車を置いて帰るかチエンを買ってゆっくり帰るかの選択肢。この調子で降り続くと明日までには積雪で高速道路も通行止めになるだろう。

雪景色はいいが雪は厄介だ。

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2013年1月13日 (日)

PCと根性比べ

PCっと根性比べ。

新しいPCがまだ馴染もうとしない。年寄りだと思ってバカにしているらしい。

今に見ていろ。キット乗りこなしてやるから、と毎日少しずつ挑戦を繰り返している次第。

まあこれだけ文章らしきものが書き込めるようになっただけでも褒めてやらねばね。

五行歌の今年最初の会合も近ついて気になるが、「寒い」が欠席の口実をあたえてくれる。

藍ちゃんもipadoを持って旅に出たらしい。どんな様子か今度会うのが楽しみ。彼女には優秀な指導者がついているからなあ。

質問

さっき山悠会関係者と名乗る人から「余命を告知された友人にどう接したらいいか?」と難しい質問があった。

長くなるし、重要なことだと思うことだから時間のあったとき皆さんにもお伝えしようかね。

駅伝

京都で開催された女子駅伝を観戦して時間をつぶす。

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2013年1月12日 (土)

年寄りの長生きの秘訣

年寄りの長生きの秘訣

山猿さんがコメントで「年寄りの長生きの秘訣」を教えてくれた。

皆さんにも参考までにお知らせします。

年を取ってからの長生きの秘訣として、「転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」の三か条があるが、これは岸信介・元首相の言葉だそうです。

また、ある方が式に参加し、風邪を引いて寝込み、一つの義理を果たしたために多くの義理を欠く結果となったとあります。

寒中ですのでご無理は禁物です。

投稿: 山猿 | 20131 8 () 1927

山猿さんありがとう。教えを守ってもう少し長生きしてもいいかい。

 

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2013年1月11日 (金)

サカタのタネ・ウナギ・PC

「広告で安売りやってるようだよ。天気もいいし行ってみない?」ハム子からの誘いに載ってサカタのタネに行ってみた。

広告の効果だろういつもより混んでいた。

錯覚だからt「春蘭」を一鉢購入して帰った。

また仲間が増えた。春先の花が楽しみ。

ウナギ

サカタのタネの近くの老舗のウナギ屋さんで昼食。おいしかった。

PC

PCはまだご機嫌斜めのまま。できる範囲でこの文章だけは受け取ってもらえた。明日あたり和ちゃんが来てくれるかもしれない。

まだまだ大変。

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2013年1月10日 (木)

篠笛個人レッスン・寝不足

篠笛個人レッスン

二俣川で今年初めての篠笛個人レッスン。

「四方山話に」花が咲いてレッスンは始まった。

月の砂漠。リンゴの唄などを中心に教えていただく。手の痺れはそのまま上手く吹けるはずがない。先生は何も言わない。

自転車に乗ってもそう寒さは感じられないいいお天気だった。

寝不足

昨日迷い道をして歩きすぎたっぷり昼寝をしたせいだろう昨晩なかなか寝付かれないで参った。昼寝はほどほどにしないとね。

PCご機嫌斜めの儘

PCの調子は変わらない。以前簡単にできたことさえできなくなった。

よほど嫌われたらしい。

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2013年1月 9日 (水)

PC馴染まず・まいご

広告に惑わされPCを新しく買い換えた。

機能が複雑でさっぱり思うことが文章にまとまらない。

時間をかけてゆっくりゆっくり手懐けていくしかないと分かっていても、イライラは募るばかり。

これじゃ健康にもよくない。頼みの助っ人孫もそうそう来てはくれない。

自分で載り熟していくより仕方がなさそう。

挑戦の道は意外に険しい。

迷い道(まいご)

天気もよし朝方散歩に出かけた。

いつもと違った道を選んだのが間違いだった。

帰り近道のつもりで選んであちこち右折左折したがさっぱりいつもの道が出てこない。

仕方なくすれ違った人に尋ねた。

全く逆方向に進んでいることを教えられた。おかげで3000歩で帰るつもりが9500歩も歩いてしまった。

久しぶり汗びっしょり、いい運動にはなったが疲れた。

「どこに行った心配していたよ。年を考えなくっちゃね」ばーちゃんの一言は堪えた。

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2013年1月 8日 (火)

三悠会

三悠会

三悠会新年会都内O。昨年中に千の風になられた方が多く参加者はまばら。

乾杯のビールも飲む気がしない。

溜息と愚痴は聞く気になれない。こっちも行くだけで疲れているからだろう親身になって聞き役に徹しられない。

遠方は無理。愚痴や涙を受け取ってやるだけの余裕がなかった。

長居は無用。眩暈が来たのが立ち上がる潮時になった。

なにかお偉いさんが来るからと引き留められたが居残る気力がなかった。

疲れた。

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2013年1月 7日 (月)

新しい挑戦

PCをあたらいいのにして初期設定を孫にしてもらったが、後が続かない。年寄りが無理するからだといわれるのが癪に障る。

藍ちゃんが言うように」徐々に慣らしていくより仕方がなさそう。

負けてたまるかと奮戦中。

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2013年1月 6日 (日)

新しいパソコン

新しいパソコン
新しいパソコンが届いた。
恥ずかしがってか,云うことを聞いてくれない。
困った。
馴染むのに少し時間がかかりそう。
負けてたるか。

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2013年1月 5日 (土)

ダブル・デイト

恵ちゃん、和ちゃんとダブルデイト
恵ちゃん
暮れに恵ちゃんと昼食会を約束してあった。

バーちゃんと二人お年玉をもらった。孫からお年玉をもらうなんて幸せ物ですね。
行きつけのおすしやさんですし新年会。恵チャンありがとう。
和チャン
和ちゃんとは午後3時の約束。ガールフレンドと昔から和チャンがお世話になっているKチャンも一緒。
4人でふかひれラーメン店で楽しい新年会。

Kチャンとは初対面だがなかなか好青年。酒も強そうだがわきまえている。
和チャンからもお年玉をもらった。
ダブルデイトは初めて。最高に幸せ。長生きしていればいいこともある。
新しいPC
PCの調子がおかしいので思い切って新しいのを和チャンに見てもらって購入。

明日届けてもらうことにした。また忙しくなる

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2013年1月 4日 (金)

静かな年明け・OB会役員に挨拶・三冊目

静かな年明け
何もなくあまりにも静か過ぎ不気味。
年賀状ももう来ないだろう。
変化を求めている訳ではないが何か物足りない。
そんな気持ちを正直にJBKに書くことは考え物だと想う。

OB会役員に挨拶
OB会の新年会欠席の旨伝えるべくO役員宅へ。
自転車で行ったのを驚いておられた。

三冊目
書きもしないのに書く書くとかけ声だけに終わっている三冊目、今年はJBKを犠牲にしてもまとめたい。と決心したしだい。

甥の「往復書簡」に負けてたまるか。80歳の抵抗
安曇野日誌のハルキ君が伯父と甥の往復書簡をまとめだしてこの春には日の目を見るらしい。
原稿の量が多すぎて選別に迷っている。改めて書いていこうというより多少気が楽かもしれない。
やろうと思えばいてでも・・・と言う安易な気持ちが災いをしている。
一年の計は元旦にあり。何か目標はあった方がいい。

今年はやりますぞ。笑われても、こうして宣伝しておかないとやる気がなくなってしまいそう。
時々原稿の一部をご披露していきたいとも想っていますのでご声援ください。

掛け声だけで終わらないことを祈って。アーメン
PCの調子がおかしいまま。これでは書き物もかけそうもない。やめろという警告かもしれない。

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2013年1月 3日 (木)

新年会
ハム子のところで新年会に呼ばれて和チャンが送り迎えをしてくれた。
ハム子と和ちゃんからお年玉をもらってご機嫌。

今年もいいとしになりそう。
パソコンは調子が悪くメールも開けない。
どこかおかしなところに触ってしまったようだ。
困った。仕方なくiPadのお世話になっている

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2013年1月 2日 (水)

平穏な正月

平穏な正月
風はやや強いが、穏やかなお正月。
年賀状の整理。
TVも見たいようなものはやっていない。
こんなときは不貞寝しかない

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2013年1月 1日 (火)

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
旧年中は一方ならぬお世話になりました。

お蔭様で眩暈も落ち着き無事新しい年を迎えることができました。

皆様の励ましのおかげです。
本年も相変わらずよろしくお願い申し上げます。

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